取り返しはつくのか?

数十年もの長きに渡って何らかの宗教を信じてきた人が、親しくしてきた人の裏切りに遭ったり、身内の死に触れたり、団体内の稚拙な人間関係に揉まれたりする中で、自分の信じてきたものを疑い出して、日々募り続ける懐疑心がある日突然確信に変わって爆発して、松田優作のように「なんじゃこりゃあ‼」みたいなことになった時、その絶望感たるや、筆舌し難いものがあると思う。

歳を重ねて宗教を始める人がごまんといるんだから、歳を重ねて宗教をやめる人も少なからずいると思うのだが、歳を重ねた末に、長年信じてきたものを一切信じられなくなるというのは悲惨なことなのではなかろうか。

「なんじゃこりゃあ‼」と叫ぶ時、その人の中にあるのは、哀しみなんだろうか。怒りなんだろうか。はたまた、哀しみと怒りが入り混じったものなんだろうか。いずれにせよ、かなり絶望的なものだと思う。いずれはトンネルから抜け出せる日が来るとしても、そこへ至るまでの道程はかなり過酷なものなのではないかと、無宗教の分際で思う。


裏庭のお客さん

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少なくとも一日に一度は必ず、我が家の裏庭に姿を見せる仔猫。
庭にフンをすることもなく、ちょっと休んで、ちょっと遊んだら帰っていくので、庭を管理するうちの母親も邪険にもてなすようなことはせず、むしろその来訪を喜んでいる。

今は、私も母親も「お客さん」と呼んでいるが、ゆうても毎日欠かさずやってくるお得意様なんだから、そろそろ適当な名前を考えてやらねばなるまい。猫だからといって、いつまでも「名前はまだない」では困る。

あの仔猫は私に負けず劣らずの散歩マニアらしい。そして、伊丹最北端の散歩マニアの頂点に立つ私が散歩中に必ず立ち寄る店と言えば、「ディスカウントショップ・いちご」

「いちご」と名付けた。