好きな人の前で、「自分」が出なくて、出せなくて困り果てている。ここでいう「自分」とは、要するに、私の友人たちが知っている「一憩」のことなのであるが、これが全っ然出なくて、出せなくて、困り果てているのである。
自分自身に対して、、「お前誰やねん!」と思って、イライラする。
わかってくれるよな?男性読者諸君…。
好きな人の前で、「自分」が出なくて、出せなくて困り果てている。ここでいう「自分」とは、要するに、私の友人たちが知っている「一憩」のことなのであるが、これが全っ然出なくて、出せなくて、困り果てているのである。
自分自身に対して、、「お前誰やねん!」と思って、イライラする。
わかってくれるよな?男性読者諸君…。
今、私は猛烈な恋をしている。もう本当に、死にそうだ。
仕事中も、家にいる時も、ずっと、その人のことばかり考えている。
とにかく、繰り返し繰り返し、気持ちを伝えていこうと思っているし、すでに一度、爆発的な勢いで伝えた。
なにしろ不毛で死にそうなのだ。あの人といないと。あの人のことを想ってないと。
想い過ぎて、音楽さえまともに聴こえてこないんだから。
これはこれで立派に「病気」だ。
ちっとも楽しくない。楽しくない。情けなくて、悔しくて、辛いだけだ。
たまに滅茶苦茶なことをしたくなる。爆発したくなる。
富士山だって、あれは休火山であって、そのうち必ず噴火するのである。
私はたかのしれた一個の人間であって、富士山みたいにデカイわけではないから、富士山みたいにダラダラと我慢し続けるということができない。
たまに、不定期的に、爆発しないと、噴火しないと、生きた心地がしない―というのは私だけ?悪いこと?
「当たって砕けろ」という言葉がございます。この言葉を使う人間は、本当は、砕けたくないのでございます。でも、私の場合、時として、当たることの主たる目的が砕けることにある場合がございます。
シラフの時と、酔っ払っている時と、完全に別人格―私は二重人格である。
シラフの時の私は完全なる嘘つきだが、酔っ払っている時の私の行動や言動には嘘がない。嘘がないから、滅茶苦茶だと言われる。
嘘をつき続けることのしんどさというのはなかなかのもので、だからついつい酒に手が伸びる。
言うなれば、酔っ払っている時の私こそが、私本来の姿であるから、酔っ払っている時の私が滅茶苦茶だということはつまり、私という人間が抜本的に滅茶苦茶だということである。
私は、酔っ払っている時の自分を全面的に支持する。何を言っても、何をやっても、一切反省しない。やることなすことに嘘がないからだ。本当はこう思っているから、こう動くまでのこと―ということ。
私の中に、優等生と不良がいる。優等生は嘘ばかりついているが、不良は嘘をつかない。嘘つきが優等生だと言われて、正直者が不良だと言われている。優等生には不良の気持ちがわからない。わからないから怖くて、怖いから「関係ないね」などと言って虚勢を張っているが、関係ないはずがないし、優等生はむしろ、不良に憧れているくらいなのである。
レノンいわく、「もっとも傷つくのは、自分が必要とされていないことだ」
「自分」という言葉が鍵だ。
頭数として必要とされているのか、「自分」が必要とされているのかでは、意味が、天と地ほど異なる。
「自分」が必要とされることほど、幸せなことはない。