ピストルズの『勝手にしやがれ!』も、ダムドの『地獄に堕ちた野郎ども』も、クラッシュの『白い暴動』も、私が生まれた1977年に発表された。私はまさに、ロンドンパンク勃発の年に生まれたのである。

滅茶苦茶。やぶれかぶれ。でも、なんだかよくわからない魅力がある―私もそんな人間でありたい。

パンクという概念が大好きだ。


アルファベッツはパンクだったが、リプライズと第一期バタフライはパンクじゃなかった。
私はまたパンクバンドがやりたい。姿勢が音楽に滲み出ているという意味でのパンクバンド。
私は、ジョニー・ロットン、真矢みきと誕生日が同じだけあって、やっぱり、反骨精神ありきの人間なんだと思う。反骨精神がなくなった時、私は本当に駄目になる。

先日の職場の飲み会で、「「S」か「M」か」という話題になった時、私はズバリ答えた。「僕はSです」と。そして、こう付け加えた。「支配したいとは思いませんが、支配されるのは死んでも嫌です」と。

自分らしく生きたい。多少問題があろうとも。


河童

いちいち、大きく重く捉え過ぎなんだと思う。

私自身の存在と人生を含めて、人間の営みなんてみんな、「たかが」と「されど」の世界なのに、「たかが」がなくて「されど」一辺倒だから、精神的におかしなことになるんだろうと思う。

私一人死んだところで世の中何も変わりゃしないというのが原則だやね。だからこそ、本当は、もっともっと、できるはず。

失敗なんて屁のカッパ。成功したって屁のカッパ。

人間、寝ないわけにはいかんし、同様に、遅かれ早かれ、死なねばならんし、死ねるんだから。


叫んだらアカンですか?

太田くんが、先日のライヴのCD―Rを送ってきてくれた。

個人的には、「FLOWER」と「スノーフレーク」が良い出来だと思った。

母親に聴かせたら、「あんたの歌は怖い。聴いてて心臓がドキドキする」って言われて、却下された。

ぬるくあれと?ぬるいって、そんなに良いことなんだろうか。俺にぬるくなれと?

無理な相談だ。


自己模索

昨日は、仕事を終えると、そのまま阪急伊丹駅前の居酒屋「魚萬」に直行して、職場の皆さんとお酒を飲んだ。「魚萬」というだけあって、魚の旨い店であった。

職場での私は、少しずつ感覚を取り戻しつつあるとはいえ、まだまだ「馴れてきた」とは言えない状態。時間に追われて、緊張していて、ちっとも本来の自分を出せていない状態なので、この飲み会で少しでも本来の自分を出せたらなと思っていたのだが…う〜ん、どうでしょう。あんまり出せなかったような気もするし、いきなりドカーンと出して引かれるよりは良かったような気もするし…っていうか、本来の自分を出す必要性をあまり感じなかったんだな。というのも、本来の自分とは別に、私には私の「職場の顔」があるらしく、これを模索していかねばならんなあと思ったからである。
私は暗い人間ではないが、かといって明るい人間でもないし、笑いの角度も、ちょっと歪んでいて、健康的なものではないし、キャラ的に明るくて、ストレートな笑いを得意にしている人なら、他に居てはるわけだし。
というわけで、私には私の立ち位置、職場の顔があるらしく、そうして、考えてみれば、それこそが私の最も素に近い姿―本来の自分なのかもしれず、となると、私が元々認識していた「本来の自分」って一体何じゃらほい?それこそ作った自分、「演じている自分」なのではないかしらん?―ってなことを今、冷めたコーヒーを飲みながら考えているのであるが、なにはともあれ、今日は休み。仕事のことを忘れて、大いに気分転換しようと思っている。
気分転換―これはこれで立派な仕事だ。これがうまくできないと、何事も続かないからね。

さあ、散歩に出掛けよう。宝塚安倉のBOOK・OFF。4日前に行った時には、改装中で閉まっていたけど、今日は開いてるだろう。

頑張れ俺!気分転換を頑張れ!気分転換も頑張れ俺!


and young…

「生」と「死」があって。

年齢に何の意味があるんだろう。

年齢がどうのこうのと言えてる間は、若いんだろう。

生は生―生きているということ。
死は死―死ぬということ。

「生」の意味合いや、「死」の意味合いは、人それぞれで。

年齢がどうのこうのと言えてる間は、きっと、まだまだ若いんだろう。

青いんだろう。


ヘタレの美学

「ロック」という概念があって、「ロックな人」という人種があるとすると、私は、その真逆の人間だ。プレッシャーに弱いし、ヘタレだし、臆病だ。

でも、だからこそ、ロックな人よりもロックが好きだし、ロックを信じているし、ロックでありたいと思う。

高校の時、ある友人が面白いことを言った。「めっちゃケンカ強い奴はロックなんてやれへんよ」
名言だと思う。

ヘタレはヘタレなりに、しっかり生きていこうと思う。

「化ける」ことができるのは、大概、ヘタレだ。


貴女はブサイクだ

人を好きになるのって嫌だねぇ。なんか、調子に乗られるからねぇ。

「告白」ということをする側とされる側だと、する側の方が気合いもいるし、かっこいいとは思うけど、でも、調子に乗られて、なんだかよくわからない距離なんかを設けられて、「こっからこっちには入ってこないで」みたいな線を引かれるとイラッとくるねぇ。「誰が入るか!」と。
確かに好き。好きなんだけど、「調子に乗りやがって。何様のつもりだ!」ってなって、百年の恋も冷めるねぇ。

俺だったら、俺みたいなもんを好きになってもらえたことに心底感謝するし、それをちゃんと態度に表すんだけど。

人に惚れられて調子に乗るような奴は、下品だ。
男女を問わず、ルックスの如何を問わず、ブサイクだ。

好きになって損したと思う。


祈り

最近、ビートルズやら、レノンのソロやら、ハリスンのソロやら、マッカートニーのソロやらをよく聴く。

これは、私が音楽に対して、心の底から「何か」を求めていることの顕れだ。
何を求めているのか―「癒し」かもしれないし、「愛情」かもしれないし、「信頼」かもしれないし、「信仰」かもしれないし…う〜ん、自分でもよくわからない。

ただ、今が、今現在が、私にとってめちゃくちゃ大事な時期、時節なんだということだけは確かだ。

ビートルズに祈りを。


本日、気分転換の練習

今日は休み。

雨降り―でも、悪くない雨。桜なんて早々に散ってしまえばよろしい。

朝、食堂でスウプを一さじ、すつと吸つてお母さまが、「あ。」と幽かな叫び聲をお擧げになつた―旧仮名使いの『斜陽』をちょっと読んでから、午後、傘をさして宝塚安倉のBOOK・OFFへ行って、CD500円コーナーで何か一枚掘り出し物を見つけてやろうと思っている。
心境的には、ウィーザーの1stか、ドアーズの1stが聴きたい。

うまく気分転換ができるようになりたい。こう見えても私はめちゃくちゃ下手くそなのだ―気分転換。