梅田のど真ん中にある雀荘の入口に、この絵が掲げられていた。
これはどう見ても、孔明だろう。天才軍師、諸葛亮孔明だろう。
まさか、こんな所で逢えるとは思わなかった。
「また逢いに来ます」と、心の中で呟いた。
言葉の変化はできる限り小さくて、意味の変化が大きいほど、笑いの声は大きくなる。
ザ・ストーン・ローゼズの1st『ザ・ストーン・ローゼズ』―UKロック不朽の名盤と言われている。
UKロック好きでこのアルバムを知らない奴はいないし、はっきり言って、「UKロック」なんてくくりを寄せ付けないレベルにある「崇高」とも言える名盤だ。
今、¥1857でリマスター盤が売ってるので、これを買うべし。中古の旧盤に手を出してはいけない。音が悪い上に、音量が小さ過ぎてイライラする。絶対にリマスター盤を買うべし。
ちなみに、俺はスターリンなら『虫』が好きだ。死ぬほど聴いた。
酔っ払いは酔っ払いなので、酔っ払いらしくたまに醜態をさらす。で、この醜態を戒めるのが酔っ払いだったりする。
酔っ払いが酔っ払いの気持ちを察してやらなくて、一体誰が酔っ払いの気持ちを察してやれるのかという話だ。
酔っ払いが酔っ払いに説教してちゃ駄目だろう。吉本新喜劇じゃないんだから。
「わからん」と言って安易に匙を投げる前に、少しはわかろうとしてくんねえかな。
俺は悪党じゃないし、鬼畜でもないし、アナーキーでもないし、はっきり言って、変人でもないよ。
34にしてハミゴ感を味わうなんて、思いもよらなかったよ。
ま、勝手にすりゃいいけど。
モノノケさんが「見るに耐えない」なんてことは断じて、ない。私は、見るに耐えないような人間に「友達になってもらえますか?」なんて言わないですから。
馬鹿に「ありがとう」なんて感謝するのは馬鹿げている。馬鹿に、その「ありがとう」の真意なんてわかるはずがない。皮肉だと捉えるのがやっとだと思う。
去勢されたんだか、洗脳されたんだか、馬鹿に馬鹿と言うことが、馬鹿を馬鹿だと思うことが、暗に禁じられている世の中だと思います。
許すことのできる人間こそが、本当の意味で強いんだという考え方はよくわかるし、人を許すという行為そのものが、人間としてすごく立派なことなんだということもよくわかりますが、この考え方が馬鹿の「傘」になっていることもまた事実で、そしてこの馬鹿が、またどこかで、人を傷付けています。
馬鹿は鏡を持っていないから馬鹿なんだと思います。だから、鏡を持っている人間が馬鹿に鏡を見せてやればいいんじゃないでしょうか。
人を許せる人間が言う分には、馬鹿に「馬鹿野郎!」と言うのは、罪悪ではないと思います。だって、馬鹿におのれが馬鹿だということを気付かせないと、その馬鹿はまた別のどこかで別の誰かに馬鹿をやるんですから。
癌は早期発見、早期治療です。早く手を打たないと、広がる一方です。癌に「ありがとう」なんて言う医者がいるでしょうか。
馬鹿に馬鹿と言える人間の姿が、人を勇気付ける場合だってあると思います。それはそれで、人として、立派なことだと思います。