介護施設で働いていた時、特に夜勤の時なんかは、甘いもの、チョコレートが欠かせなかった。実際、介護士室の片隅には、お菓子置き場があって、常時、甘いものが置かれていた。
人間、疲れると甘いものが欲しくなると言うが、本当に、身体が自分の意思を完全に無視して勝手に、甘いものを欲していた。
同じ理屈で、頭が何かを猛烈に欲する時がある。
「必要」ということなんだろう。
その通りだと思います。反論の余地、ございません。ひょっとしたら私は、そのような言葉を誰かから掛けられるのを待っていたのかもしれません。
文章的にも、素晴らしい文章だと思います。嬉しかったです。
学ばなきゃ馬鹿のままだし、かといって、学べば学ぶほどに馬鹿になる一方だし…って、一体、どうすりゃいいんですかねえ…。
でも、もし「笑いの神髄」みたいなものがあるんだとすれば、この界隈に転がってるような気もするし、笑いの神髄みたいなものが転がってるんなら、表現することの神髄、芸術の神髄みたいなものも、この界隈に転がっているような気がしないでもないんでございますのよっ!
学ぼうとする意識が常にある。
人と喋っている時も、本を読んでいる時も、音楽を聴いている時も、漫才を観ている時も。
でも、学べば学ぶほど、知れば知るほど、馬鹿になっていってるような気がする。
本当に大切なこと―人間の、人格の、「核」とも言えそうな場所から、一歩一歩、遠ざかっていってるような気がする。そして、遠ざかっていく度に、無駄な言葉を覚えていってるような気がする。
彼女が言った。
「和田一憩とおるのに、和田一憩じゃない人を見てんとアカンの?」
この言葉って凄い。完全にやられた。言われてみれば、確かに、その通りだ。
私は、和田一憩だ。いついかなる時も、常に、和田一憩だ。
蝶が一丸となれば、必ず音楽で、ロックンロールで食っていけるようになると思っている。
今までずっとバンドをやってきて、その都度常に自信はあったが、「食っていけるぞ」とまで思ったのは、本当に、蝶が初めてだ。
個人的には、来年の頭から数えて二年以内に、メンバー全員が音楽で、ロックンロールで食っていけるようになるまで持っていきたいと思っている。
今回ばかりは、これは、ちゃんと発言すべきだと思った。
言葉は力だ。
…笑い死にするかと思った。というのも、たった今、YouTubeで「ガンジス河でバタフライ」と、ちゃんと全文を入力して検索してみたところ、同じタイトルのものがズラーッと出てきたのである。
まず、トップに出てきたのが、私が前述したゴミのような兄ちゃんの映像で、それからザアーっと下を見ていくと、一見同じようではあるが、ゴミ兄ちゃんほどには笑えないゴミ映像が続いた後に、『ガンジス川でバタフライ(朗読)』というのが出てきて、観てみると、可愛いんだか不細工なんだか判然としない上に、実に滑舌の悪いおネエちゃんによる、何をどう思えばいいんだかさっぱりわからない朗読があって、しかもこれが前編と後編に分かれていて、ここで腹を抱えて笑っていたら、このさらに下に『ガンジス川でバタフライしなかった』という、タイトルだけでヤバ過ぎるのが出てきて、観てみたらこれがもう個人的に完全にツボに入ってしまって、本当に死にかけたのである。
皆さんにも是非観ていただきたい。
もし、あなたの笑いのツボが私と同じなら、ヤバいことになると思う。
「ガンジス河でバタフライ」を観てみた。
最初、土手から河を見下ろしている男の背中が映ったので、こいつが河に飛び込んで泳ぐのかと思ったら、すでに河の中にいる地味としか言い様のない、ひとつも取り柄のなさそうな童貞丸出しのゴミのような兄ちゃんが、画面右から左へ4メートルほどバタフライの失敗のような泳ぎを披露して、どや顔で土手に上がってくるという、ただそれだけの、僅か21秒の映像であった。
死ねばいいのに