実録・リアム伝説

〈これは数年前、某音楽雑誌に実際に掲載されたインタビューの内容である。〉

インタビュアー「あなたは何故、直立不動、両手を身体の後ろに組んだ姿勢で歌うのですか?」

リアム「そりゃまあ、あれだ…」

インタビュアー「あ、ひょっとしてこうですか?「現代人は皆、手枷足枷、がんじがらめだ。でも、声は…声だけは自由なんだ!」というメッセージなんじゃないですか?」

リアム「ま、そんなとこだ。」

テキトーか!嘘をつけ!嘘を!


コメントへの返信〜ノーバート・ウィーナー尾崎様宛

一読の下に、いや、一読せずとも一瞥しただけで正体の知れる独特な文体ながら、わざわざ「ノーバート・ウィーナー尾崎」なる、けったい極まる仮名を駆使するあたり、キュートです。

非常に有り難いコメントです。そして何より、隅々まで神経の行き渡った長い文章を作成してくれたというその心意気に感謝します。

けったいな生き方というものは、けったいな人格が必然的に生み出すものなので、あなたの生き方も相当にけったいなものになるであろうことが予想されますが、私はそれを絶えず、草葉の蔭から眺めて、楽しませていただこうと思っております。
私とあなたの大きな違いは、我のけったいな生き方、人格をさらけ出すかさらけ出さないかという点にあるわけですがしかし、さらけ出そうが出さまいが、けったいはけったいなので、けったいです。

今後とも、けったいなる関わり合いの継続をよろしくお願いいたします!


コメントへの返信〜大前田やすし様宛

酔っ払いなら、誰もが身をもって理解しておることを、わざわざどや顔で言うておられるご様子のマシュー教授はきっと、教授自身が酔うとるんでしょう。常に、酔うとるんでしょう。昼夜を問わず、酔うとるんでしょう。アメリカ人なので中原中也は知らないが、アメリカ人はアメリカ人なりに汚れちまっていて、酔うとるんでしょう。

面識が無いとはいえ心配です。マシュー教授には慎んでこうお伝え下さい。「酒をおやめなさい。」と。そして、「教授の分際で、タカラcanチューハイみたいな中途半端なもん飲んでるからいつまで経ってもマシューなんや。だいたい、「マシュー」は大概アホや。」と。

すんません。

一方、やすしさんのお人柄は、文中の「鈴木京香ではない」や、「兔角世間は生きにくい」というフレーズに滲み出ております。決して、悪印象は抱いておりませんよ。

コメント、ありがとうございます!


もう一つの作品を

音楽とか、文章とか、絵で、楽しんでもらえたら、そりゃもう、それが何よりなんですけれども…私は、私としては、それ以上に、私の生き方を、このけったいな生き方を、この先さらにけったいなものになるであろうこの生き方そのものを、皆さんに楽しんでもらえたら、それこそ最高だと思っています。

このことを思う時、私は心から、「生きたい!」って思えます。


青春

子供の頃の自分に少しでも戻りたいという気持ちと、今までに培ってきたものの全てを引っさげて新しい世界へ飛び出していきたいという気持ちの両方が、全く同じ大きさで、私の中にある。
片や退行、片や前進。一見、完全に相反するもののように見えるが、私にしてみれば、全く同じ意味合い、2つで1つ、私が進まんとしている方向にブレは一切ないのである。


Do you know? Don’t you know?

天候を問わず、昼夜を問わず、ありとあらゆることについて、ひっきりなしに考え続けるのである。考えて、考えて、考えて…しまいにゃ頭が痛くなってきて、頭が熱くなってきて…しかしここで、頭を冷やすなんてことをしておったのでは、いつまで経っても埒があかないのである。せっかくここまで来たのに勿体無い。あえて、さらにさらに突っ込んで考えていくのである。考えて、考えて、考えて…ドーン!!頭がショートを起こして、頭の中のバロメーターが一気にゼロまで下降して、何もかもが終わった!みたいになった時に初めて、埒というものはあくのではないか?何か一つ、答えが出て、小さいけれど掛け値なしの宝物が手に入るんじゃないか?そういうことなんじゃないか?ということを、最近ずっと、考えています。


うげっ!

最近、旧友たちが遊びに来てくれて酒を酌み交わすたびに、私は、私の心の恋人の話を、妄想混じりに喋り倒している。だから、彼(旧友)も、彼(旧友)も、私の心の恋人が具体的に誰なのかをよく知っている。言っておくが、それは決して、中川翔子ではない。私はそこまで馬鹿ではない。

彼らが目の前にいて、その上で酔っ払って、心の恋人のことを想い、語る分には、若干冗談めいていて楽しいのだがしかし、彼らが目の前にいない中で、心の恋人のことを想ったり、ましてや喋ったりするというのは完全に気違いの沙汰なので、もちろん、そんなことはしないがしかし、想ってしまうということ自体は、これはもう本当に、私としてもどうしようもない、知ったこっちゃないことなのである。
要するに、今、めちゃくちゃに狂おしいのである。

私の心の恋人は、「ギザカワユス」なのである。

うげっ!


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だいたい、もとはと言えばみ〜んなアンタらのせいだ!

エレクトリックギターを買って新バンド結成に乗り出したら、その足で、アンタらのボックスセットを買いに走ってやる!逃げるなよ!待ってやがれ!このクソ馬鹿野郎どもが!

愛してます!


実在する妄想ロケ地〜シーン2

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これは、妄想話のハイライトを飾る盆踊り大会シーンの舞台として使用された、「近所の団地の麓の公園」で、伊丹最北端にある公園の中で最も、昔から姿形の変わらない公園である。
写真からは完全に見切れてしまっているが、右手にちょっとしたグラウンドがあり、そこにやぐらが建って、毎年夏になると実際に盆踊り大会がとり行われる。そして、写真の、遊具のある側には、出店がいくつか並び、小ぢんまりとはしているものの、かなりの賑わいを見せる。

妄想話に、この公園の盆踊り大会のシーンを持ち込んだのは私であるが、実際は、この公園の盆踊り大会に水風船釣りの店が出たことはない。完全に私のイマジンである。


実在する妄想ロケ地〜シーン1

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先日の、旧友との一大妄想馬鹿話大会の中の、『浴衣トーク』のシーンで使用したベンチである。
1つのベンチに2人座れるので、ぱっと見は4人掛けだが、実際は8人、余裕で座れる。眼前に川が流れており、背後にはテニスコートがあって、晴天のラブリーなひとときにはもってこいのロケーションである。
ちなみに、この場所を使用しようと提案したのは私ではなく、旧友であるが、この場所をすかさず提案するあたり、伊達に長年伊丹最北端に住んでないなと思う。