コメントへの返信〜伊丹ニッキー@別人 様宛

コメント、ありがとうございます。

「奥井あき」という人を存じ上げなかったので、「奥井あき」で調べてみたところ、「もしかして奥井亜紀?」という表示が出たので、「奥井亜紀」で検索してみたら、顔写真が出ましたが、私としては、奥居香の方が断然タイプです。しかしながら、地伊人としてどうか?という観点に立って考えますと、奥井亜紀の方が、奥居香よりも若干、地伊人寄りかなとは思いますが、正直なところ、桃井かおり以外は全て、地伊人の守備範囲と言って良いのではないかと思うのですが、その前に、この文章は一体どのようにして締めくくれば良いのでしょう?

あ、締めくくれた…。


人にやさしく

我が国に於ける会話は、語り手の国語力ばかり問われて、聞き手の読解力は問われない。

「お前、何言うてるかわからん。」とか、「お前の喩えはようわからん。」とか安易に言うが、いやいや、じゃ、お前の読解力はどうなんだ?という。そこんとこどうなってんだ?という。

昔から、「「頑張れ!」という言葉は駄目です。当の本人はもう十分頑張ってるんだから。」という言葉をよく耳にする。まあ、わからんでもない。時と場合によっては、確かにそうだと思う。でも、基本的には、これは、聞き手の問題じゃないのか?基本的には、「頑張れ!」って言ってくれてる人の気持ちを、聞き手がしっかりと適切に汲み取れるかどうかの問題じゃないのか?

普段、言葉にさほど敏感でもないクセに、くだらんとこでくだらんイチャモンつけてんじゃねえよ、と思う。


貧民のプライド

「お客様、ゴールデン・バットでしたよね?すいません。今、品切れ中でして…。」
私の吸う煙草の銘柄を知っているコンビニの店員が、毎度毎度、「ポイントカードはお持ちですか?」と聞いてくるのだが、あれは、極めて不快である。素直に、「持て!貧乏人のくせに。」と言えば宜しい。グーでドーン!ってやったるから。

今後、私は、どんなにお得でも、ポイントカード的なものは一切持たん。したがって、財布も持たん。

貧乏はカッコ悪いことではない。貧乏臭いことが、男たるもの、カッコ悪いのである。


コメントへの返信〜匿名様宛

コメント、ありがとうございます。
『姫と蜘蛛』は、仕事中に突然閃いて、自分でも何を意味する文章なのかさっぱりわからないまま書いたもので、後から読み返してみると、どうやら幾つもの個人的な意味合いが、それこそ蜘蛛の巣の如くに、複雑に絡み合っているらしく、そういった意味では、これは、ほとんど、「詩」なので、読み手によって、解釈にバラつきが出てくるのは当然で、そこがまた、詩の面白いところだとは思っておりますが、匿名さんの解釈は、私の解釈には全く無かった形、私の解釈の真逆をいく形なので、めちゃくちゃ面白いです。
なるほど、そういう解釈もできるのか…。
詩って、やっぱり面白い!


姫と蜘蛛

姫「何故、私がこんな目に遭わないといけないのですか?私が何か悪いことでもしましたか?」

蜘蛛「それはまた人聞きの悪い。あなたが勝手に引っ掛かって来たんじゃないですか。私がこうやって巣を拵えるのは、これは、これが、私の仕事、神から与えられた天職だからですよ。」

姫「じゃ、逃してくださるのね?」

蜘蛛「いや、それは出来ません。」

姫「何故?」

蜘蛛「私は、捕まえる方法は知っていても、逃す方法を知らないからです。」

姫「じゃ、さっさと私をお召し上がりなさい。私も姫です。ジタバタなんてしませんよ。」

蜘蛛「残念ながら、それもできそうにありません。」

姫「え?何故?」

蜘蛛「あなたを、こうやって、ずっと、眺めていたいからです。」

姫「じゃ、私はこのまま、死ぬのを待つしかないのですか?」

蜘蛛「いや、決して死なせはしません。食べ物は私が、というか、この巣が勝手に、随時用意しますし、お風呂は、ほら、天からシャワーが降ってくるではありませんか。トイレは…ね、ほら、私もあなたも、お互い虫なんですから。」

姫「でも、私は、確実に年老いていきますよ。そのうち必ず、あなたの鑑賞に耐えない姿になりますよ。」

蜘蛛「その点は大丈夫です。あなた同様、私も年老いて、そのうち必ず死にますから。」

姫「…では、私を、殺してはいただけないでしょうか?召し上がる必要はございません。ただ、無傷で、殺して、そうして、ずっと、そうやって眺めてらっしゃったら良いんじゃないかしら?」

蜘蛛「ですから先程も申し上げた通り、私は、捕まえる方法しか知らないのです。捕まえて、食べて…他のことは何も知らないのです。」

姫「…。」

蜘蛛「…もし、どうしても死にたいとおっしゃるのなら、ご自分で舌を噛み切られてはいかがですか?」

姫「あら、私に舌が無いことをよくご存知で。」


人生のグリース

100%純粋な心の持ち主がいたとして、彼が極めて生きにくいであろう、いや、生きていけないであろうことが、容易に想像できるのと同じように、100%嘘をつかない人間というのもまた、そんなのはいるはずがないけれども、いたとすれば生きていけないに違いないので、例えば、教育の場に於いて、あまりうるさく、「嘘をつくな!」と教えるのは、いかがなものかと思われるがしかし、「人の為の嘘のつき方を覚えなさい。」と教えるのもまた、いかがなものかと思われるというのは、その言葉尻に、「自分の為の嘘はつくな。」という意味合いが色濃く潜んでいるからであって、しかしながら、人間、実際には、自分の為の嘘が、それがたとえめちゃくちゃ他愛もない言葉であっても、社会的に円滑に生きていく為には、どうしても必要不可欠なものだからで、したがって、教育の場に於いては、私のこの文章を、冒頭から、子供達に読んで聞かせるというのが、最も適切な教育かと思われるが、おそらく、そんなことはしない方が良いのだろう。


キズナームX

「言いたい事はちゃんと言い合える仲でいましょう。ね?」などという言葉は、私にとっては、ただの無茶振りである。
「そりゃまあ、あんたにはそれができるでしょうが、私にそれを求められても、それは無理というものです。」という気持ちを断腸の思いで噛み締めつつ、私はただ曖昧に笑うだけである。
そこへもってきて、何か姿勢的に、私に対して一歩引いたような接し方をしてくれる人というのは、本当に有難い。
私が何も言わなくても、私には実は強烈な主義主張が、意志があるんだということを無意識の内に察してくれていて、その部分に対して、畏敬の念みたいなものを常に持ってくれていて、「これ以上は踏み込まないよ。」という一線を引いてくれている人というのは、人間として、本当に尊敬に値する、『愚鈍』の真逆をいく人間だと思うから、私としても、彼らに対しては常に畏敬の念を忘れないので、これは、お互いがお互いに無理なく、無理させず、思いやり合って成り立たせている人間関係なので、本当に綺麗な、品のある、人間関係の形だと思う。

♪友達はいいもんだあ〜、言いたいことが言えるんだあ〜。なんて歌を、子供の頃、学校で歌わされた記憶があるが、こんな言葉は完全な嘘である。
私は、私の友人達が、私に対して言いたいことを言っているとは思わないし、彼らもまた、私が彼らに対して、言いたいことを言っているとは思ってはいないだろう。
ただ、お互いに、お互いの中に、蠢く何かがあることを、敏感に察し合えている。これは、実に大人な人間関係だと思うし、私は、こういった関係には、本当に恵まれていると思い、この点については、日々、黙々と感謝している。


死んだ心

元来私は、救い難い程の恋愛至上主義者だったのに、その恋愛さえも、今や、別に…で。

心の恋人なら、いる。いるが、告白しようとか、ものにしたいとかいうふうには全く、微塵も思わない。あくまで『心の恋人』として、私の甘い想像を纏って、一つの「基準」として、心に君臨し続けてくれれば、それで良い。

どうせどっかで化けやがるんだろうと思うと、くだらない。


痴呆の如くに

ここ最近、自分でも不思議なくらい、物欲というものがない。

服が無いので買わねばならなかったり、財布が無いので買わねばならなかったりと、必要に迫られて、「買わねばならない」物はいくつかあるが、どれもこれも、「欲しい」物ではない。エレクトリックギターさえも、バンドをやるために、「買わねばならない」物であって、「欲しい」物ではない。というのも、どんなギターが欲しいのかということについて、かつてのようなこだわりがないのである。近所のリサイクルショップで、安価ながら愛着の持てそうなものを選べば、それで良い。
ビートルズのBoxセット。これは、欲しいっちゃ欲しいかもしれない。以前から気にはなっている。が、どうせ全曲知っているし、生まれてこの方、死ぬほど聴いてきたので、喉から手が出るほど欲しいというわけではない。
欲しい物が、ちっとも思いつかない。

一体何がどうなって、こうなってしまったんだろう。ま、別に、不快ではないが、なんだか退屈だ。

今は今で、どこかへ出掛けたい気持ちはあるが、どこへ出掛ければ良いのかがさっぱりわからない。神戸へ行って、歩き回りたいという願望も、気付けば綺麗に消失してしまっていた。

虚無といえば虚無…。