憎悪について

自分自身に対する憎悪は、読んで字の如く、自分自身に対する憎悪で、他人に対する憎悪は、意外や意外、全て、自分自身に対する憎悪となって返ってくる。

「自分自身を愛する一番の近道は、感謝することです。」と、これまた意外や意外、宗教本ではなく、心理学の本にあったが、まさにその通りだと思う。

憎悪は、自滅を招く。だって、「憎悪」だ。「ぞおお」などという音が、良い結果を生むはずがないじゃない。

でも、ま、博愛家は博愛家で、いかがなものかとは思うけれども。


デカダンダカラ

生きる為に生きたくない。

カッコ悪い。

生きる為に生きたくないから、知らないものは知らないと、分からないものは分からないと、嫌なものは嫌だと、ハッキリ、言う。

要するに私は、何が嫌って、カッコ悪いのが一番嫌だ。

男だから。
男だから男の子だから。
男だから男の子だからロックが好きだから。
男だから男の子だからロックが好きだからデカダンだから。


コメントへの返信〜須磨ですまんの〜様宛

以前から、あなたが好きだと言っておったので、復刻してみました。
これは確か、アルファベッツの時のブログに載せたネタやね。懐かしい。
当時、明らかにど〜でもいいネタやのに、予想外に多くの反響をいただいて、困惑したものです。

ちなみに、私は今もなお、ようかんに爪楊枝を刺す時の音は、「サニュッ」であると、「サニュッ」意外にはあり得ないと、確信しております。はい。


娘へ(3)

これで良かったんだよ。

パパは生きるよ。生きてりゃ、そのうち、必ず、会える!

数年後、キース・リチャーズ、もしくは、死にぞこないのジョン・レノンみたいになって、あんたに、会うよ。

これで良かったんだよ。

パパは、あんたに、あれ以上、みすぼらしい自分を見せるのが、耐え難かった。

あんたのパパの名前は、和田一憩です。

自信を持て!

大丈夫!


自戒

自分には自分のすべきことがあって、それは、他人に教えてもらうものではない。
自分のすべきことについて、「見よう見まね」などあり得ない。

自分は、自分の信じる自分のすべきことを、自分なりに、するだけで、他人の目を気にする必要はないし、他人にとやかく言われる筋合いはないんだ。