ロックたれ

年がら年中、「ロックとはなんぞや」ということを考えている。学生時代から今に至るまでずっとだ。で、その都度考え方は変わるんだけど、今、40歳の俺はこう考えている。

ロックは「信用」だ。

くだらないバンドの音楽を聴いたり、ライヴを観たりした時、「嘘をつけ!」と思う。不思議と「嘘」という言葉がしっくりくる。下手クソでもいい。馬鹿でもいい。正直であればいい。愚直であればいい。ロックとはつまり、そんな芸術表現のことだから、嘘が水に垂らした油のように一目瞭然な浮き方をする。

気に食わないものがある。気に入らないことがある。でも、それを口にしたら他人に拒絶されるような気がして怖いから口にしない。黙ってる。僕は嘘をついているわけじゃない。黙ってるんだ…なんてことを、ロックやってる分際で思っている奴がいたらそれは間違いだと言いたい。ロックやってる人間が言いたいことを言わずに黙っているというのは、言葉巧みに裏腹なことを言うよりもずっとタチの悪い嘘だ。


初詣

昨日、毎年恒例、俺の守護神がおるとされる神社へ初詣に行ってきた。

今年、俺は本厄らしい。

おみくじを引いたら末吉だった。

本厄なら凶、もしくは白紙が出んとおかしいし、厄祓いに払う金があったら、大晦日から元日にかけて夜勤をしていた介護職の人にあげた方がずっと御利益を見込めるという気持ちに一点の曇りもないので、気にしない。


今年のテーマ

「自信」

昨年一年を通して、見たり聞いたり考えたり感じたりしたことの全てを一つの言葉に落とし込んで今年のテーマに据えるとすれば、これしか思い浮かばない。昨年一年を終えて、自分の掌の上にあった言葉がまさにこれだったから、これを今年のテーマとする。

言葉ほど重いものはないが、軽いものもない。何とでも言える。だから、真偽のほどが疑わしい言葉が入ってこないように耳を塞いで、目を凝らして行動だけを見れば、その人の自信のほどが伺える。やはり、自信のない人は自信のない動き方をしているし、自信のある人は自信のある動き方をしている。

人間は自信に見合ったものを選ぶ。どんな物を選び、どんな人を選び、どんな場所を選ぶのかは全て、自信の有無にかかっている。だから、今年俺は、自分の見方や、考え方や、感じ方を全面的に信じてみることにした。つまり、他人のフィルターを通してものを見るということの一切をやめることにした。

とはいえ、ないものを「ある」と言う必要はないし、これまでも、ないのに「ある」と言った覚えはない。が、あるのに「ある」と言ってこなかった覚えがあり、それが自分の可能性を限定してしまっていたように思う。

「自信がある」と言うことはハードルを上げることになる。でも、そもそも、ハードルというものは上げることに意味がある。人よりも高く上げられることを誇るものであって、人よりも低く下げられることを誇るものではない。

可能な限り自分を信じて、可能な限りハードルを上げる。余裕で越えられる高さに設定したハードルを何度も越えてみせて、越えるたびにドヤ顔を浮かべているような奴は、いずれ、その高さすら苦にするようになる。


バンドやってるバンドマンをぶっとばすバンドやってないバンドマンの肖像

一般の人たちの中には、「バンドマン」と聞いて、どこかブッ飛んだ、特殊な人種を思い浮かべる方もあるかと思う。かく言う俺もそう思っていたし、バンドマンのいる世界に治外法権的な自分の居場所があることを期待していたのだが実際は…普通である。ガッカリするほど普通で、人並みに一般常識に精通していて、縛られていて、どこか諦観があって落ち着きがあり、「計算高い」という部分に於いてのみ熱みたいなものを感じさせる残念な人種なのである。

確かに、容姿や歌詞の内容や音のデカさはブッ飛んでいるかもしれない。でも、容姿や歌詞の内容や音のデカさでブッ飛び感を出すことほど簡単なものはない。本来は、容姿も歌詞の内容も音のデカさも一般の人たちが理解できる範囲内にありながら、トータルで見た場合に明らかに「普通」という言葉の枠外にあるもののことを「ブッ飛んでる」と言う。

俺自身について言えば、もうちょいブッ飛ばねばと思うくらいブッ飛んでいるという自覚がない。でも、ブッ飛んだ人間に憧れてブッ飛んだ人間を演じておきながら、実際にブッ飛んだ人間が現れると「常識がない」などと言って嫌悪感を覗かせるバンドマンに敬遠されてるのを感じることが多々あるから、たぶん、ブッ飛んでなくはないんだろう。それに、俺のことや、俺の音楽を気に入ってくれている人たちは見るからに変わり者の、ブッ飛んでる人が多いから、「類は友を呼ぶ」のなら、俺もやっぱりブッ飛んでなくはないんだろうと思う。

良いことだ。有り難いことだ。

社会人としてイケてなくても、バンドマンとしてイケてりゃそれでいいんだし、バンドマンとして凸な人間は、例外なく、社会人としては凹なんだから。


クリスマスプレゼント

我が奥さんからのクリスマスプレゼント。

俺は、ギターも間違えた弾き方を好き好んでするけど、ハーモニカも完全に間違えた吹き方をしてやろうと思っている。

間違えても、フォークの人みたいな貧乏臭い吹き方はしないんでご安心を。

ギター弾きながらちょっと吹いてみたけど、これは俺、一瞬で上手くなる自信あるよ。

パソコンはどう頑張っても上達する自信ないけどね…。


計画を練る

来年に向けて色々と計画を練っている。現段階で確定していることをいくつかここに書いておく。

<ライヴについて>

まず、環境を変える。環境を変えて、今年は基本的に月一のペースでやってきたが、来年からは2、3ヶ月に1回のペースでやっていこうと思っている。これについては、バンドマンのアドバイスではなく、別業種、具体的に言えば、劇団をやっている人のアドバイスを容れた。バンドマンのアドバイスほどアテにならないものはない。どうせ、「もっとやれ」としか言わないんだから。お前らね、下手な鉄砲は数撃っても当たりゃしないよ。

<音源について>

引き続き、ライヴ盤をコンスタントに作っていく。これについてはやはりエンジニアの存在が大きい。以前のように、ただライヴ録音したものを出すんじゃなくて、録音したものに手を加えた「作品」を出すことができる。ま、「出す」ったって、あくまで非売品。絶対に金銭での取り引きはしないし、欲しけりゃ俺に「くれ」と言えという話。音源は接点。引き続き大切に扱っていく。

<動画について>

今年3本作ってみて、思いのほか楽しい作業だったから、本当はもっと作りたい。でも、そこをグッと堪えて、今アップされている3本の視聴回数が3本とも100を越えるまでは、新しいものを作るのは控えようと思っている。視聴回数が3ケタに満たない動画がズラーッと並んでる様というのは、なんかちょっと恥ずかしいからね。

<新曲制作について>

ライヴ同様、2、3ヶ月に1曲のペースで作っていく…と言いたいのは山々なのだが、こればっかりは寡作な俺のこと、わからない。ただ、長年に渡って手付かずのまま放置していた過去の曲の見直しや改良については、今年、完了したので、後は前だけを見て新曲の制作に没頭すれば良いだけの話なんだから、気が楽と言えば楽で、ゴールドラッシュ的なことになる可能性もないわけではない。でも、やっぱり、こればっかりは「わからない」としておく。

<バンドの結成について>

ない。