『モーリーズ・リップス』について

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今現在、私がライヴで披露している唯一のカバー曲『モーリーズ・リップス』は、英グラスゴーのバンド、ヴァセリンズ(写真)が書いた曲である。

ヴァセリンズは、活動中はさほど評価の高くない、知る人ぞ知るインディーバンドだったのだが、解散後、カート・コバーンが「世界で一番好きなバンド」と言い、カバーしてから一気に再評価された。

私が初めて聴いた『モーリーズ〜』は、ニルヴァーナがカバーしたやつだった。一度聴いたら忘れられない、激烈にキャッチーでポップなメロディーに驚いた。そして、これは是非とも歌ってみたいと思い、ギターでコードを拾ったら、コードを2つしか使っていないことが判明してさらに驚いた。コード2つでこのメロディー!?と思って感動した。で、それからずっと、今に至るまで、私がソロライヴで演る唯一のカバー曲として君臨し続けている。

2009年にヴァセリンズが再結成して、サマソニに出演した時、私は会場にいた。『モーリーズ〜』は会場を揺らさんばかりの大合唱になった。あんな大合唱を観たのは、聴いたのは、オアシスのライヴ以来だった。が、私が演ると、演るたびに「知らん」って言われる。「ヴァセリンズのカバー」って言うてもわからんやろから、「ニルヴァーナのカバー」って言うたら、「ニルヴァーナ?知らん」って言われた。

日本でロックを生業にするのは至難の技である。


呟き

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どんなギャグも勝てないと思う。

どんなギャグも、「人生設計」なる言葉には勝てないと思う。

「鋼鉄豆腐」(メタルドウフ)って言うてるのと同じくらい、無理のある言葉だと思う。


園田 FUN’Sにて②

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色んな、本当に色んなスタイルのミュージシャンが一堂に会して、演奏を披露した。皆さん恐ろしくキャラが濃く、バラエティーに富んでいるので、観ていて飽きなかった。お店の方々も、ミュージシャンの方々も、片っ端から良い人たちばかりで、めちゃくちゃ楽しかった。


無題

震災については、一切の発言を控えようと思います。ただ、極端に微力ながら、募金箱を見つけたら募金するなどして、その度に、現地の一刻も早い余震の沈静と、復旧・復興を祈りたいと思います。


*お願い*

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当ブログでは引き続き、読者の皆様方からのライヴハウスやライヴバーについての情報を募っております。

ご紹介いただけたら、一応の検討はしますが、かなりの確率で「やろう!」ということになると思います。

情報は当ブログにコメントという形で寄せて頂くか、Facebookの方に寄せて頂けたらと思います。

よろしくお願いいたします。


モナリザ

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高校の時、私は本気で「日本の音楽を助けたる」と思っていた。思うだけではなく、同級生相手に声に出して言っていた。「日本の音楽は死んでる。死んでる音楽を聴いて喜んでる日本人の耳は腐ってる。だから俺が助けたる」と言っていた。近所に、有名な精神病院があった。そして、それから10年後、私は『モナリザ』という曲を書き、「救いの手 言葉で求めて メロディーで差し伸べて」という歌詞を書いた。これは、そっくりそのまま音楽に対する言葉で、『モナリザ』という曲自体が音楽を「モナリザを気取るしか能のない女」に例えて、「助けたるから助けてくれ」と訴えている曲だった。 曲の後半には「血も涙もない君の力を信じてる」という言葉も出てきて、当時やっていたバンドの解散の兆しを感じながら歌っていた時には、涙が出てくることもあった。

今もなお、弄ばれるだけ弄ばれてグチャグチャになった己の醜さに気付かず、自分を助けようとした人間を助けようとしなかったことへの反省の色も無く、黙って薄ら笑いを浮かべているだけの非常に無慈悲な女ではありますが、私もまた彼女に負けず劣らず性懲りなく、いま一度「助けたる」の精神に立ち返って、救い難き片想いの炎に巻かれて果ててやろうと思っております。


Mr.Simple

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曲の出来について、他人に負けたと思ったことは一度もない。ただ、その表現方法については、止めどなく迷走してきた。

バンドでは芽が出ないーということは、バタフライというバンドを解散した時点で、気付きたくはないけど気付いた。でも、それでもやっぱりロックをやりたいことに変わりはなく、先日のソロ転向後の初ライヴではアコギ一本でのロックを試みた。バンドでのやり方、見せ方を、そっくりそのままアコギ一本でやる。今までそういう人を見たことがないし、上手くいけば面白いことになると思ったのだが、あれはあれで終わり。失敗したとは思わない。思わないけど、あのやり方はあれが最初で最後。

今は、ある種、ロックを忘れて、ロックはスピリットの部分に押し留めて、「聴かせる」ことに徹したスタイルで練習を積み重ねている。
曲のアレンジから歌い方に至るまで、無駄なものを徹底的に削ぎ落として、極限までシンプルに。結果、「ようやく自分のスタイルに辿り着いた」と思えるようになった。思えば私は、イラストを描く時も3色しか使わない。つまりは、そういうこと。ようやく、迷いがなくなった。

私はいい音楽をやっている。

私をダシに一発当ててやろうという、プロモーション能力に長けた人物に巡り逢うことさえできれば、本当に、なんとかなると思う。


親切な人たち

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出る杭は打たれる。でも、出てないと、どこに居るんだかわからない。

出たくて出ている杭が、通りすがりの親切な人に打ち付けられて「余計なことをすな!」と言っているのを何度か見たことがある。

常にハンマーを持ち歩いている親切な人たちは、ただひたすらに「親切な人」というだけで、顔というものがないから、誰が誰だか見分けがつかず、特定の人物を取っ捕まえて懲らしめるということができないので、非常に歯痒い思いをさせられます。