出た!グレッチ!
フォークの人に相手にされへん不良娘。
南こうせつに触られたら爆発するやつ。
店員さんに「弾かせてください!」と懇願して弾かせてもらった。私が持っているエレキもグレッチなのだが、やっぱりカッコいい。
喧嘩腰な良い音が出るし、抱いた時の感覚も、身体に馴染んでしっくりくる。気が合う。「こいつぁエロい!」と思った。
派手過ぎるのが玉に傷。でも、宝塚のスターの化粧みたいなもので、舞台映えはするのかもしれない。
昔よく聴いていた曲を聴くと、「あの頃」の情景や心境が瞼に胸に鮮やかに甦る…というのはよく聞く話で、明らかに音楽の魔法の一つなのだが、私の場合、そういった感覚を呼び覚ます曲が自分の作ったものだったりすることがある。例えば昨日。スタジオで数年振りに『人間の羽根~ヒトノハネ~』という曲を歌ってみたところ、この曲を書いた10年以上も前の情景と心境が鮮明に思い出されて驚いた。
当時、私はThe Rippleyes(リプライズ)というバンドをやっていたのだが、ギターでイントロを弾き始めた途端、当時のメンバーがスタジオに居て、一緒に演奏しているかのような錯覚に陥った。実際、彼らの音が聞こえてくるような気さえしたのである。そしてあの時、私がこの曲をどういった意味合いで書いたのかを思い出して、胸が熱くなった。
「見る前に跳んで愛 うまくいこうがいかまいが間違いじゃない」どうにもこうにも私が書いたとは思えないが私が書いた歌詞。パイプ椅子に腰掛け、目をつむって、感情を込めて歌った。当時より上手く歌えるようになっていた。歌い終わるや「誰やねん…この曲書いたん。めちゃめちゃエエ曲やないか」と呟いている現在の自分がいた。
↑どうすんねん、これ。
日本語でもロックはできる。ロックにも色々あるけど、大概はできる。でも、ヘビーメタルだけはキツイと思う。恐ろしくダサい。「ジャパメタ」と言った時点で0点である。
言っておくが、私はヘビーメタルって嫌いじゃない。「嫌いじゃない」どころか、基本的には好きである。良いバンドをたくさん知ってるし、個人的に「名盤」と呼んでいるアルバムも幾つかある。だからこそ、敬意を表して「ヘビメタ」ではなく「ヘビーメタル」。略して「メタル」と呼んでいる。でも、日本のメタルについては「ヘビメタ」と呼んでいる。海外にヘビメタバンドなんていない。
昔から、「日本人にレゲエとパンクはできない」ってなことを言う。レゲエやパンクのように、反骨精神に基づいた音楽のことを「レベル・ミュージック」などと呼んだりするのだが、日本人は反骨精神に乏しい民族だからレベルはできないと、こう言うのである。でも、私は断じてそんなことはないと思っている。日本人にも反骨精神はあるし、言葉の響き的にも、日本語がレゲエやパンクに合わないとは思わない。日本人にもレベルはできる。日本人にできないのはメタルである。ヘビメタはできてもヘビーメタルはできないのである。
どいつもこいつも遅れてきた地獄の使いみたいな格好をしている。音がまた、オケの段階でデビルダサい。そこへ、雨の日の翌日に地面にこびりついたエロ本の断片を剥がして持って帰ったりなんかしている頭の悪い中学生が書いたような日本語を乗せて、オバハンのチャリンコのブレーキ音のような声で喚き散らしている。もう本当に救い難い。シャリが駄目ならネタも駄目。だったら、シャリを上にネタを下に…ひっくり返しても駄目なものは駄目である。
先日、近所の本屋で立ち読みをしていたところ、妙な宗教本等ではなく、心理学の本の中に「全ての苦悩は世の中への貢献によって解消される」とあった。
「全ての苦悩は世の中への貢献によって解消される」本当は誰もが理解していることだと思う。心の底では、わかっている。
貢献の形はどこまでも人それぞれで、他人にとやかく言われる筋合いはないし、言う筋合いもない。それぞれがそれぞれに自分の形を探しながら、人生の中に点々と転がっているヒントを拾い集めながら、導かれるようにして、それぞれの方向に向かって歩いていくんだと思う。
「やりたいこと」をやって生きていこうとしているように見える人がいる。でも、本当は「やれること」をやって生きていこうとしているだけのことだと思う。「やれること」というのは、世の中に対してやれること。確かに、やれることは幾つかあって、一つではないけど、人生が一度きりであることを思えば、「より上手くやれること」を追求することになるのは当然の流れだと思う。
最終的な目的はあくまで自分を救うことだから、利己的といえば利己的かもしれないが、その為には世の中に貢献するしかないということを知っている人間。そんな人間に手を貸さない神様がどこにいるのか。
最大限、自分を救う為に、最大限、自分を活かして、最大限、世の中に貢献しようとしている人に神様が喜んで手を貸すーという仕組みを思えば、甲本ヒロトがいつも平然と言ってのける「夢は絶対叶うよ」という言葉に疑いの余地がなくなってきて、なんとも言えない、不思議な気分になる。