浮き和

うちの近所に某芸術大学があるのだが、そこの学生は、一目瞭然、そこの学生だということが判るのである。なぜなら、めちゃくちゃにオシャレだからである。
伊丹最北端のような片田舎で、あまりオシャレに気を使い過ぎると、それは直ちに、「浮く」ことを意味するから、その某芸大生達は、伊丹最北端の地に於いて、皆ことごとく、浮いているのである。したがって、「オシャレである」ということ自体がまるで、制服のようになっている。

まったくまあ、どいつもこいつも揃いも揃って形から入っている。
あれじゃどうせ、大したものは作れないんだろうし、下手すりゃ何も作っていない、いや、作り方を知らない、知ろうともしない、ただの見かけ倒しなんだろう。
毎朝、家の鏡の前で創作意欲を発揮し切って、その『作品』を見せる為に、わざわざ高い金を払って、通学してきてるんだろう。

私は、19の時、潜りで大阪芸大に通っていたが、あそこの学生達も皆、大体に於いて同じような体たらくであった。
オシャレだった。が、それだけだった。
ロクに授業にも出席せず、学食に集っては酒を呑み、何も作らない分際で偉そうに芸術論を戦わせていた。

私は、早い段階であの学生達の、あの空間の、嘘に、馬鹿馬鹿しさに幻滅して、青い青春丸出しの恋の季節だけしっかりものにしてから(私の生まれて初めての彼女は大芸生であり、その次の彼女も大芸生で、そして、どういうわけだか、二人とも新潟出身であった。)、伊丹最北端へ戻り、神戸へ出て、本格的にバンド活動を始めた15年前の自分を誇りに思う。

紆余曲折を経て15年後。私は再び、ロックンロールがしたくて、ウズウズしていて…伊丹最北端、どう見てもオシャレではないのにも関わらず、浮いているのである。


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