斜呉箱から鳩〜故郷の忘れ者様宛

早速の投函、感謝いたします!

結論から言うと、まったくもって、その通りだと思います。やりたいようにやって、生きたいように生きて、それが正解だと思います。人生が一回きりだということを思えば、他に答えは出ないと思います。

あと、諺や慣用句などというものは、常に矛盾に満ちていて、相田みつを的に、「言うたもん勝ち」の世界なので、「昔の人間もアホだった」ということを今に伝えるものでしかないと思います。考えてもみてください。「イヤよイヤよも好きのうち」などという支離滅裂な言葉がまかり通るのであれば、他に何とでも言えるでしょう。
イヤよイヤよも好きのうち―この言葉に裏切られ、泣かされた人間のいかに多いことか…まことに、諺というものは罪なもので、数え切れない程の被害者を日々、「悪気はなかった」などと嘯きつつ量産しておきながら、その責任を一切取らないのです。
だいたい、古人のボケどもは、「三」という数字に固執し過ぎです。「三度目の正直」「二度あることは三度ある」「石の上にも三年」「仏の顔も三度まで」「三日坊主」「桂三枝」と、「三」さえ出せば何とかなるだろうというこの浅ましさは一体何なんでしょう。「人間だもの」さえ出せば何とかなるだろうというあの浅ましさは一体何なんでしょう。

一回きりの人生なんだから、他人のアホな言葉なんて相手にしている余裕はございませんし、ましてや、遠の昔にこの世を去った、どこの馬の骨だかわからない人間の言葉なんて、無視する以外にないでしょう。ほら、昔のCMソングにこんなのがあったでしょ?

♪完無視父吐き弱ったな…。


3件のコメント

  1. 正にそう思うが桂三枝は関係ないだろ(-_-;)そして見事な解釈だが「癇虫乳吐き弱ったな…。」 ではなかろうか?(笑)

  2. 最近、悩まれたこと。妻側からの愛人とその子供のリアル話し。結論は、好きに自由に生きる難しさ。トラウマや壁を乗り越える、大変さ。

  3. 例えば、『二度ある事は三度ある』二度の失敗で三度めに出す自分の答えで、『三度めの正直』で変わる。成功と失敗の答えで。『石の上にも三年』人生の取り組み方は、その繰り返しだとか。解釈は色々出来る。自分にどぅ取り入れるか?自分次第。私の知る体のサイクルは、数字3がキーワードです。

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