プラモデル

誰の言葉にも揺さぶられることのない確たる信念なんてきっと、手に入れられるとしても、これから先もっともっと年老いて、死ぬ3日前とかそのくらい先の話なんだろうと思う。でも、それを重々承知の上で、今日も明日も明後日も、一分一秒を惜しみつつ、探し続けていたいと思う。

確たる信念―そりゃあまあ、実際に見つけて、手に入れられりゃそれに越したことはないけれども、でも、こういうことって本当は、実際に見つけて手に入れるのと同じくらい、もしくはそれ以上に、必死になって探している姿そのものに意味があるんじゃないかと思う。

探すことを諦めている人って、わざわざ探らなくても、一瞬で、雰囲気だけで、探すことを諦めている人だということがわかる。人として、これほど非魅力的な姿ってないと思う。

プラモデルは、完成形を頭に描きつつ作っている過程が面白いのであって、完成してしまえば意外と「…」だ。そして、人が魅力的に見えるのもまた、嬉々としてプラモデルを作っている最中の姿であって、完成したものを誇らしげに眺めている姿ではないような気がする。

我ながら、いつものことながら、何を言いたいのかさっぱりわからん。


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