個将の名に賭けて

他人の言を容れない人間というのは、「自問自答」ということもしない。

他人についても、自分自身についても、「個」を軽視して、「全体」を重視する。

「全体」なるものに、統合性という幻を見て、それを崇拝して、自分自身の存在に当てはめて調子に乗っているが、そもそも、「全体」などというものに本当の統合性などというものはないのであって、あくまで幻なのだから、他人の言を容れない人間、自問自答しない人間というのは、神経的にてんでバラバラな存在なのであって、自分自身の中に、自分でも気付いていない犠牲があるのであって、そんな人間は、言うなれば、「歩く烏合の衆」なのである。

そんな輩に負ける「個」などない。

あってたまるかコンチクショー!


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