ビートルズもストーンズも、ビートたけしも、酒も煙草もジッポーライターも、「人生観」と呼ばれるものも、恋愛観らしきものも、友人観も宗教観も、全ては親父から教わったもの。私はただ親父を真似てきただけのこと。私の口から私独自のものが出てきたことなんてただの一度もない。
本当は、私には、オリジナリティの欠片もない。私ほど没個性的な奴はいない。ただ、親父に強烈なオリジナリティがあっただけのこと。だから、何をやっても、何を作っても、真っ先に親父に意見と評価を求めて生きてきた。
ヘルパーの資格をとった時は、何故か親父、めちゃくちゃ喜んでくれた。「お前ならできると思ったよ」と。ヘルパーの資格なんて、ただ学校に通えば良いだけの話で、誰だって取れるのに。
バンドをやってる時、新曲ができると真っ先に親父に聴いてもらったし、好きなバンドができると真っ先に親父に聴いてもらった。10中8、9、「全然アカン」と言われたが、親父が良しとしないものは、自分の中で良しとできなかった。
親父に「ものつくりでいて欲しい」と何度言われたかわからない。「音楽から離れるな」という言葉も、何度耳にしたかわからない。
「人の真似だけはするな」と言い続けた親父の真似をし続けた。可能な限り親父を演じ続けた。そうして、親父が死んだら、当然ながら、私も死んでしまった。「死んでしまった」という表現自体がおこがましい。何様だ。元々、そんな奴はいなかった。
親父が死んだ後も、髭をはやしたりして親父を演じ続けた。職場のエレベーターには鏡があって、乗るたびに、自分の顔が親父に似てるかどうかを確認していた。
でも私は、私がどこにもいない、いなかったことに気付いた。私は、今まで、一度たりとも自分を生きたことがない。
私自身は、徐々に気付きつつあったけど、端から見れば「突然、落ちた」ということになる。
呪縛といえば呪縛。でも、呪縛の中にしか生きる指針みたいなものを見つけられずに生きてきたから、「呪縛」という言葉を使うこと自体に踏み絵を踏むような罰当たりな感覚があって、ここから抜けるとか、これを捨てるとか忘れるとかいう発想が毛頭浮かばない。
「弱い」ならまだ良い。強くなれば良いんだから。私の場合、「無い」んだからどうしようもない。何も無いのに、考える材料なんて何もないはずなのに、朝から晩までああでもないこうでもないと考えて、頭の中が言葉でいっぱいになっている。何かしら考えてないと不安でしょうがない。
頭の中にテトリスがあって、考えれば考えるほどに言葉がずんずんずんずん積み上げられていく。でも、性格的に「本音は墓場まで」だし、実質上、音楽をやめてしまったから、言葉は積み重なっていくばかりで、それをただひたすらに眺めていることしかできなくて、そのうち、早かれ遅かれ、ゲームオーバーとなってしまうーという流れを繰り返しているし、これから先も繰り返してしまうのではないか?という不安がある。
こういう時、親父ならどうするんだろう…。
※本記事は、ブログ上に一度アップしたもののすぐに削除したものに少し手を加えたものです。ある人が良い文章だと言ってくれたので、記録として、書き残すことにしました。
貴方はもう、和田一憩という『個』を確立させてます。
親父からの脱却・脱皮をする時期が来たのではないですか?
そんな気がします。
えらそうなこと云ってすみません。
私も 故郷の忘れ者さんと同じように感じています。