ささやかな終わりを

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スペインの「サグラダ・ファミリア」。これは、ガウディが設計した巨大な教会で、1882年に着工したもののスケールがデカ過ぎて完成までに300年はかかると言われていたが、近年の建築技術の飛躍的な向上もあって、最近では、2026年の完成予定が噂されるようになった。

が、ある意味では「永遠に完成することのない建物」だとも言われている。というのも、建設に時間がかかり過ぎて、新たな構築と過去に建設された箇所の修復を同時に行わないといけないからである。
前だけを見て現在に囚われていると、同時進行で、過去からもジリジリと迫ってくるものがある。新しいものを生み出そうとしている側で朽ちていくものがある。しかし、現在構築しているものと、将来構築すべきものと、過去に構築したものの全てを一つの形に纏め上げることができて初めて完成したと言える「作品」だから、「古いものは放っておけ」と言って朽ちていくものを朽ちていくに任せておくわけにもいかない。

最近、私の中に、このサグラダ・ファミリアのイメージがある。しょっちゅうイメージするようになった。私自身が小さなサグラダ・ファミリア…というイメージ。
将来構築すべきものがあり、現在着手しておくべきものがあり、過去からジリジリと迫ってくるものがある…という事実だけは相当に緊迫・切迫した心持ちで理解しているつもりではいるが、じゃ、将来何を構築すべきなのか、現在何に着手しておくべきなのか、過去から何がどう迫ってきているのかということについての具体的なことがわからないし見えてこなくて、ただひたすらに焦っている。

人間なんだから完成なんてはなっから望んでいない。性懲りも無く構築と修復を繰り返して、完成することなく死んでいくんだろうと思っている。ただ、終わらない、エンドレスだとは言っても、その時々に小さな達成感みたいなものは感じたいし、欲しいと思う。小さな達成感もなく、ただ延々と葛藤やら反省やら自己嫌悪やらが続くというのではやってられない。

人生も仕事も紆余曲折の連続で、それに終わりが無いのなら無いで大いに結構だが、定期的であれ不定期的であれ、小さな達成感とその都度の「ささやかな終わり」みたいな区切り感に触れながらでないと、とてもじゃないが生きていけないと思う。


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