鬼才の孤独

トイレで手を洗っていたところ、ガリッガリに痩せたおじいちゃんが入ってきて、小便器の前に立った。

おじいちゃんは、ズボンのファスナーを下ろし、ちんこをつまんだであろうタイミングでこう呟いた。

「ボク、お豆腐嫌いやねん…」

私はハッとして周りを見回した。私とおじいちゃんの他には誰もいなかった。そして、おじいちゃんは私の存在に気が付いていない様子。つまり、完全なる独り言。

誰かに理解してもらいたいわけではない。もしくは、何度か理解を乞うたが理解してもらえなかったので理解してもらうことを諦めたが、トイレという精神の緩慢を許してしまう場所に於いて吐露してしまった悲痛な心情。しかしながら、「ワシ」ではなく「ボク」と言っているあたりに、聞く者の同情心に訴えかけている風が見て取れ、また、憎しみの対象であるはずの豆腐の頭に「お」を冠することによって、「豆腐は自分にとって脅威とも言える目上の存在であり、自分はその不可避な圧力に怯える被害者である」というニュアンスを滲ませてあることは明白で、となると、実はトイレに入ってくる段階ですでに私の存在に気付いていたのではないか?という疑念が生じてくるのだが、いずれにせよ、おじいちゃんがおちんちんをつまみながらお豆腐が嫌いだと呟いている姿は時代の先を行き過ぎた前衛的極まる笑いの形であって、それを私以外の人間に理解せよと言うのは無茶というものであるが、偶然にもそこに居合わせたのが私だったのだから、おじいちゃんは「もっている」と言える。

おちんちんを。


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