カメレオン

主観が過ぎてしんどかった。長いこと過度に主観で物事を捉えてきた。「物事」には自分自身も含まれるから、本当にしんどかった。自分の身体から見える範囲のものだけを見て、聞いて、感じていた。全てが自分の目と鼻の先にあって、入ってくるもの全てが減速する事なく突き刺さってくるようで痛かった。精神的に常に過敏な状態にあった。興奮状態にあった。「ボクサーは殴られるのが嫌だから殴る」と誰かが言っていたが、常に何かを、誰かを殴っていないと不安だった。無駄な闘争心があって、この闘争心に「好きな色は?」と尋ねたら「赤」という答えが返ってきて、他の色には一切興味を示さなかった。

「主観」の対義語は「客観」。主観が過ぎてしんどいのなら客観で物事を捉えれば良いのでは?と言えそうなものなのだが、自分に固執して生きてきた根っからの主観人間が客観で物事を捉えるというのは至難の業。他人目線で物事を捉えるには他人になり切らないといけないような気がして腰が引ける。結果、二兎を追う者は一兎をも得ず、中途半端に片足は他人、片足は自分という不恰好になって、他人と自分が反発し合った場合に身体が真っ二つに裂ける…という最悪の事態を想像してしまう。無理。

主観に限界が来ていて客観も無理…万事休した時、知った言葉が「俯瞰(ふかん)」だった。自分は自分のままで良い。他の誰かになる必要もない。ただ頭上高くから視野を広く持って、自分と自分を取り巻く状況を見下ろす。これが「俯瞰して捉える」という事。これを知って劇的に肩の力が抜けた。幽体離脱ではないが、自分から自分を抜く。ある意味、自分を手放すという事。かごの外に出してやる。他人目線で自分を見るのではなく、自分自身を離れた所から見る、捉えるという事。これならできる!と思った瞬間から無駄な闘争心がなくなって、赤以外の色も綺麗だと思うようになった。青や緑も綺麗だと思うようになった。特にアップルグリーンなんて素晴らしい!何故そう思えるようになったのか。たぶん、視野が広くなった分、自分自身を多面的に見られるようになったからだと思う。自分は、赤い時があれば青い時もあって、緑の時もある。それこそ秒単位で変化変色し続けているカメレオンのような生き物なんだという事に気付けたからだと思う。

過去に戻れるとしたらいつに戻りたい?なんて事をたまに訊かれるがいつにも戻りたくない。

今現在の自分が一番好きだ。


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