あたしが一憩を猫的たらしめているんだろうと思います。
世に男性多しと言えども、一憩ほど自らの中の女性性の動きに敏感な男もいないのです。
ここでひとつ、断言いたしましょうか。実は、一憩自体の性質は多分にMなのですが、一憩の中にいるあたしの性質は、頭に「ド」の文字が付くかどうかは別として、いたってSなのです。なので、このバランスを上手くとれるかどうかということが、この先、一憩が楽に生きていけるかどうかということに深く関係してくるわけです。
一憩の最旧友が、一憩を猫だと言ったのは、その最旧友が、一憩の中からあたしを最大限に引き出す鍵みたいなものを持っているからです。その鍵というのは、ズバリ申し上げますと、彼の中の極めて犬寄りな、男性的性質のことです。
人間というものは、陰なオーラを出している人を相手にすると、不思議と陽な気分が沸き起こってきますし、その逆もまたしかりで、要するに、相手の座っている椅子は回避して、その反対方向にある椅子を探して、これに座ろうとしますが、一憩がその最旧友の前で極端に猫っぽく、救い難く我が儘になるというのは、それと同じ理屈なのです。
それにしても、一憩が犬目線ではなく、猫目線でものを見出したというのは、一憩にとって確実にプラスです。素晴らしい「気付き」です。もっとあたしを、猫的気質を、S性を全面に押し出していけば、きっと一憩の未来は明るく拓けてくると思います。
猫が自分を犬だと信じて疑わない様は、犬が自分を人間だと信じて疑わない様以上に間抜けです。
一憩が自らの猫気質にさらに目覚めて、同時に、世の中には意外と犬気質の人間が多いんだということに気付いていってくれることを切に祈り、またその為には、どんな助力をも惜しまないと決意している次第の、最近のあたし、阿仁真梨なのでした。