レボリューションNo.55

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世の中には、奇跡を起こせそうな人と、起こせそうにない人がいる。こんなものは、わざわざ占い師的なインチキ臭い奴らに診てもらわなくとも一目瞭然である。義務教育さえ修了してりゃ誰にでもわかる。

奇跡を起こせそうな人の人生には安定感がない。一方、奇跡を起こせなさそうな人の人生には、奇跡という一発逆転打がない代わりに、実に眈々とした安定感がある。

ところで昔、めちゃくちゃ弱かった頃の阪神タイガースに「大豊」というハゲ頭の、アホ丸出しの顔をした選手がいた。彼は、スタメンでは全くもって使い物にならなかった。絶望的な打率。安定感皆無。が、当時、野村阪神の代打の切り札だった。というのも、9回裏の攻撃、ツーアウト満塁、一発逆転サヨナラ!などというチャンスに代打で出てくると、古今東西アホ特有の、筆舌し難い、わけのわからない威圧感があって、何かやってくれそうで、相手投手も割とビビッていて、実際にえげつない打球をスコーン!とスタンドに放り込んで、野村阪神を度々勝利に導いていたからである(うちの親父などは、彼が代打で出てくる度に「またやりよるでえ!」と言って、目を輝かせていた)。

イチローにはなれない。じゃ、何になるのか。何にならなれるのか。人間、万事休したら、腹を括って潔く、ぶっ飛ぶとこまでぶっ飛んで、「南無三!」と叫んで、大豊になってやりゃいいじゃねえかと思う。

なれるものなら。


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