Monthly Archives: 7月 2013

冷淡

5年前、大阪で暮らしていた私は、無資格未経験で介護の世界に飛び込んだ。毎日が恐怖と緊張の連続で、出勤の途中にえづいて吐きそうになったことが何度もあった。先輩が、それがたとえ2週間の差であっても、完全なる天才に見えた。わずかに一人だけ、先輩ではあるが12歳下の、人格的に腐り切ったオカマゴミ野郎もいたが、他の先輩は皆、尊敬に値する人たちばかりだった。とりわけ、「主任」「リーダー」といった役職にあるベテランは、技術や知識だけではなく、そのオーラというか、雰囲気というか、在り方に触れるだけでも勉強になった。

豪胆の中に優しさがあり、豪胆の裏に冷淡があった。「介護士なのに冷淡?」と思われる方もあるかもしれないが、たぶん、介護士「だから」冷淡なんだと思う。

存在そのものー顔とか身体といった物理的に目に見える部分に優しさや豪胆が顕れている一方で、本当の自分、人格がその後ろに、まるで背後霊のように、目に見えない形で隠れて立っているのを感じた。そして、そうやって、本当の自分、人格を表の顔から分離させているということを私は「冷淡」と呼んでいるのかもしれず、冷淡を持ち合わせているベテランは、どんな状況にあっても軸がブレず、動揺することがなかった。

早い段階で「絵に描いたような優しさだけでは駄目だ」ということに気付けたことは、私にとって明らかにプラスだった。でも、気付けたからといって、自分もすぐにあの冷淡を身に付けられたかと言うとそれは別で、いまだ一向に身に付かず、些細なことでいとも容易く軸がブレて動揺してしまう自分を日々痛感しているが、今後も介護の仕事を続けていきたいからには、少しずつでも良いから、確実に、あの冷淡を身に付けなければどうにもならん。身がもたんぞ!と思っていて、もし今、私が腕にタトゥーを入れるとすれば、「冷淡」ーこれしかないだろうと思っている。そして、「冷淡」の上に「麒麟」と彫って、入浴介助の度に「間違えてるで!」と突っ込まれてやろうかとは思っていない。


コンビニを想う夜

どうにもこうにも辛い夜というのは、男女を問わずあるものだから、「今、こんな時間にもコンビニはやってるぞ」と自分に言い聞かせるというのは、男女を問わず、情けないことではない。

真夜中ではあるが、ヤル気のある店員もいれば、ヤル気のない店員もいるぞ。
真夜中ではあるが、エロ本を買いに来てる野郎もいれば、ジャージ姿でガリガリ君を買いに来てるヤンキーの姉ちゃんもいるぞ。

真夜中ではあるけれども、ごくごく身近に、庶民的な明るい世界があるというのは確かなことでございますよ!


介護弁護

「介護されるくらいなら死んだ方がマシ」ってなことを、五体満足、健康そのものといった風情の人が、何故かドヤ顔で言っているのをよく見掛ける。

ドヤ顔の意味はよくわからないが、言っていることはよくわかる。よくわかるが、そういった言葉を、介護の仕事に携わる人の前で言うのだけは止した方が良いのではないかと思う。

安賃金、重労働。そこへもってきて「介護されるくらいなら…」というのはあまりにあまり。踏んだり蹴ったりだと思う。


旧友と戦友

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写真左は、小学一年からの旧友(そういえば今年、交友30周年だな)。写真右は、12年前に知り合って以来、ずっと一緒にバンドをやってきた戦友。

存在自体が、ありがたや。