Monthly Archives: 5月 2013

どうでもええとか言うな

20130530_131153.jpeg

数ヶ月前、「わかば」を止めることにした私は一大決心をして、10代の頃から本当は一番好きだった「HOPEライト」に代えたのであるが、「HOPEライト」はやはり、短い上に高価だということで、黒地に金の文字が渋く、他に誰も吸っていないであろうことが明白で宜しい「JPS(ジョン・プレイヤー・スペシャル)」に代えたのであるが、その後すぐに思うところあって、タール10mg以上のものは吸わんことを決意した私はまたもや銘柄の変更を余儀なくされ、しかしだからと言って煙草そのものを止めるつもりは微塵もなく、煙草屋の店頭に於ける度重なる試行錯誤の結果、この「キャビン100’S ローストブレンド8mg」に辿り着いたのである。

こいつは、私が昨今、煙草に対して求めている条件の全てを完全に満たしていた。繰り返すようではあるが、私が昨今、煙草に対して求めている条件とは以下の6項目である。

1.パッケージがかっこいい。
2.タール10mg以下。
3.他に誰も吸っていない。事実、吸っている奴を見たことがない。
4.のに、どこでも売っている。
5.比較的安価。
6.洋モクではない。

以上6項目に及ぶ条件を全て満たしている唯一の煙草、それがこの「キャビン100’S ローストブレンド8mg」だったのである!

ところで、キャビンの8mgには2種類ある。通常サイズのものと、通常サイズよりも若干長い「100’S」(10cmの意)である。私は、実を言うと通常サイズの方が好きである。では、なぜ100’Sをチョイスしたのか。以下にその理由を述べる。

<理由其の一>
通常サイズのものは、パッケージが明るい赤、内包装紙の色が銀、煙草の吸い口の色が明るい茶であるのに対して、100’Sのパッケージは黒に近い濃い赤、内包装紙の色が金、吸い口の色がこげ茶であって、私的には断然、100’Sの方がかっこいいと判断した。
<理由其の二>
通常サイズのものには「アメリカンブレンド」と表記されており、100’Sには「ローストブレンド」と表記されている。つまり、味が異なるのである。しかし、私には味の違いが全くもってわからない。味の違いが全くもってわからないにも関わらず、なぜあえて「ローストブレンド」をチョイスしたのかと言うと、それはただ単に私が、アメリカという国が大嫌いだからである。

ー以上。


違うわ!

20130527_140734.jpeg

私は今、猛烈にイライラしている。というのも、こいつの名前が全くもって思い出せないからである。思い出したくもないくらいどうでもいい奴の名前がどうしても思い出せないからである。

「城みちる」だったか?「ビビる大木」だったか?「城みちる」と「ビビる大木」を足して割ったやつをせっかく割ったのにもう一回足しちゃったような感じだったか? 「インチキ背広野郎」だったか?「頭髪フサフサハゲ」だったか?「ザ・尿失禁」だったか?「足の裏」だったか?「筋(すじ)」だったか?

全くもって思い出せない。唯一、ハッキリと思い出せるのは、こいつがAV男優であったということのみである。


苦悩の果て

20130524_154330.jpeg

昨日、ネットで偶然この写真を見つけた私が思い出したのは、以前、我が人生の師、北野武が言っていた以下の言葉であった。
「ビッグバンが起こって宇宙が誕生したことを思えば、人間の苦悩ってのも捨てたもんじゃないと思う。悩みに悩めばいい。ジャンジャンジャンジャン悩んで、その果てにビッグバンがあって、そこから始まるものってのが絶対にあるんだよ」

誰もが知っている。おさむちゃんが「おさむちゃんで〜す‼」と叫んで、この見事に昇天し切った表情にたどり着くまでに、いかに長い時間、舞台の上で煩悶、苦悩しているかを。

それにしても、この写真を一目見た瞬間に「苦悩の果て」というフレーズを思い浮かべた私は天才だと思う。


スージーQ

20130519_184050.jpeg

人類史上初の女性ロッカーと言えば、ジャニスを思い浮かべる人が多いと思う。でも、私は違う。私にとって、女性ロッカーの草分け、先駆者と言えば、スージー・クアトロである。

70年代初頭に「グラムロックの女王」として登場したスージーQは、つなぎのレザーで小柄な身を包んで、ベースを振り回しながらジャニス顔負けのハスキーボイスで爆発的にロックンロールしていた。かっこいいったらないのである。今でも、ヒステリックグラマーがよく、この人の若い頃の写真をTシャツやジッポーにプリントして販売している。かっこいいったらないのである。何せ、1stアルバムのタイトルが「サディスティックロックの女王」なんだから、文句の付けようがないのである。

とにかく聴いてみて欲しい。「サディスティックロックの女王」か「陶酔のアイドル」を聴いてみて欲しい。ぶっ飛ぶことを保証する。そして私の友人たちには、スージーの曲に「悪魔とドライブ」という曲があるから、これを是非とも、私から電話が掛かってきた際の着うたに設定して欲しい。

よろしく頼む。


恋愛観の縮図

例えば、「清き一票」などという嘘のような真の言葉がある。清いかどうかは別としても、一票があって初めて選挙制度が成り立つというのは事実で、もし、誰一人一票を投じなかったとしたら、当選も落選も野党も与党もないのである。また、「一円を笑う者は一円に泣く」 という、これまた嘘のような真の言葉がある。もし「一円みたいなもん、ワシはいらん!」と言ったオッサンがいたとして、このオッサンが一円を放棄したと同時に手放したものは十円であり、百円であり、一万円であり、一億円であるーというのは紛れもない事実である。なんとなれば、十円も百円も一万円も一億円も、全て一円から成り立っているからである。

私は、恋は清き一票であって、笑う者を泣かせる一円だと思っている。自分の内から外へ、外から内へ、爆発的に際限なくジャンジャンジャンジャンぶちまけて、てんこ盛るものだと思っている。恋は、「質より量」でも「量より質」でもなく、「質も量も」だと思っている。つまり、恋抜きに愛は絶対に語れないと思っている。

恋は軽快かつ派手なのが宜しい。逆に、愛は重厚かつ地味なのが宜しい。そう思っている私は先日、職場で、私のアイデアに沿ってお年寄り達に制作してもらった二枚の壁画にタイトルを付けた。

一枚に「てんこ盛って恋」と名付け、もう一枚に「言われてみれば愛」と名付けた。私個人的には、二枚で一枚、対を成しているコンセプト作品。
「てんこ盛って恋、言われてみれば愛」これは、現在の私の恋愛観の縮図とも言える言葉なのである。


寝練手管

どうせ生きるなら、真面目に生きるよりヤンチャに生きた方が、後で「真面目に生きてきたのに…」的なことを思わなくて済むから良いのではないだろうか。

後で、神や仏のせいにせんでも済むから良いのではないだろうか。

でも、死ぬ間際に神仏に罪をなすりつけてバチが当たったとしでも、どうせこちとら死ぬ間際の身だし、痛くも痒くもないか …って、こんな時間に何を考えとるんだ私は。

ちっとも寝れんではないか。


燃えて黄忠

20130513_024842.jpeg

「老い」の解釈。他人に合わせてると馬鹿を見る。

「老い」の解釈。自分に合ったものを選べばいい。サイズとデザインーそれこそ、服を選ぶように選べばいいと思う。

どう考えても、あなたの一分一秒の長さと、私の一分一秒の長さは違う。だから、あなたの「老い」と、私の「老い」は、同列で語れるものではない。完全に異質。あなたの「老い」は、私の「老い」について何の参考にもならない。

私は私の老いを生きる。私の老いは、まったくもって夢のない、ただひたすら地味にフェイドアウトしていくのみのあなたの老いなんかより格段にイケてるはずだと自負している。