恋愛観の縮図

例えば、「清き一票」などという嘘のような真の言葉がある。清いかどうかは別としても、一票があって初めて選挙制度が成り立つというのは事実で、もし、誰一人一票を投じなかったとしたら、当選も落選も野党も与党もないのである。また、「一円を笑う者は一円に泣く」 という、これまた嘘のような真の言葉がある。もし「一円みたいなもん、ワシはいらん!」と言ったオッサンがいたとして、このオッサンが一円を放棄したと同時に手放したものは十円であり、百円であり、一万円であり、一億円であるーというのは紛れもない事実である。なんとなれば、十円も百円も一万円も一億円も、全て一円から成り立っているからである。

私は、恋は清き一票であって、笑う者を泣かせる一円だと思っている。自分の内から外へ、外から内へ、爆発的に際限なくジャンジャンジャンジャンぶちまけて、てんこ盛るものだと思っている。恋は、「質より量」でも「量より質」でもなく、「質も量も」だと思っている。つまり、恋抜きに愛は絶対に語れないと思っている。

恋は軽快かつ派手なのが宜しい。逆に、愛は重厚かつ地味なのが宜しい。そう思っている私は先日、職場で、私のアイデアに沿ってお年寄り達に制作してもらった二枚の壁画にタイトルを付けた。

一枚に「てんこ盛って恋」と名付け、もう一枚に「言われてみれば愛」と名付けた。私個人的には、二枚で一枚、対を成しているコンセプト作品。
「てんこ盛って恋、言われてみれば愛」これは、現在の私の恋愛観の縮図とも言える言葉なのである。


2件のコメント

  1. 「てんこ盛りの恋」ってどんな盛り方なんですか?
    ショコラのてんこ盛りは甘ーいですよ。

  2. 三宮駅前のセンタープラザ。その地下に老舗のパフェ専門店があって、ここの超特大パフェをご覧になれば、私の言う「てんこ盛りの恋」がどのようなものなのかわかっていただけると思います。ただし、甘くてデカいだけでは駄目です。甘くてデカいだけでは、ただそこに恋の塊があるだけで、恋が起動、躍動しているとは言えません。では、このてんこ盛った恋をどのようにして起動、躍動させるのかと申しますとー爆竹です。
    超特大パフェに、点火した爆竹を素手で勢いよくブチ込む。その直後、あなたが目の当たりにするであろう光景。それが、恋の躍動です。そして、そのまた直後にあなたが目の当たりにするのは、あなたの身柄を確保しに来た警官の躍動であろうかと思います。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。