山羊の頭のスープ

今年に入って、身内、身内でないを問わず、身の周りで相次いで人が亡くなった。まるで将棋倒し。いつ止まるのか不安に思ったほど。

短期間の内に、これだけ多く人の死に触れるというのは生まれて初めてのことなので、それなりに動揺しても良さそうなものなのだが、私は、私自身が自覚している範囲でいえば、そんなに、大して、動揺しなかったように思う。なぜ動揺せずに済んだのか。それはたぶん、いちいち動揺するにはそういうことがあまりに連続し過ぎたからで、これがもし単発的なものだったら、いかに血も涙もない私と言えども、もう少し動揺していたのかもしれない。

いずれにせよ、私は今、何だかわけのわからない脱力感にやられてにっちもさっちもいかない有様。親父が逝ったことをもって、将棋倒しがとりあえず一段落したらしく、一段落したと見て、身体の力を抜いて一息付いた時から、抜いた力が戻らなくなってしまった。背骨が抜けたと言うか、腰が砕けたと言うか…う〜ん、言うに言えん。

そういえば、今年に入ってからというもの、私は呼吸の仕方を間違え続けているような気がする。吐かずに吸ってばかりいる。それも、音を立てずに細かくクッ!クッ!ってな塩梅。何度練習してもクロールの息継ぎができなかった学生時代の、あの感覚を思い出す(って、クロールの息継ぎは今でもできないけど…)。36にもなって呼吸一つまともにできないとはいかなる禍事か。

吐かねばなるまい。ちゃんと吐かないからちゃんと吸えない。吐かねば吸えない。だからと言って、ただ息を吐くだけというのも何だから、ここらでいっちょ、叫びたい。

メェェェェ。


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