道を切り拓くべく、攻めの姿勢を取ろうにも、「和」と「憩」に挟まれた名前では限界がある。また、これまでのように、「雨読」は得意だが「晴耕」は苦手…というのでは、今後、話にならない。そこで昨年末、改名を決意。改名の報告を2月に行うことも、あらかじめ決めていた。
『和田怜士』を名乗ることにした。
過去にも何度か、本名とは別にアーティスト名を考えて、名乗ろうとしたことはあるが、短編小説を書いていた時にペンネームとして「新田茘枝」を名乗ったことを除いて、どれも実際に名乗るところまではいかなかった。でも、今回は違う。今後私は、普段は引き続き「和田一憩」を生きるし、嫌でも生きねばならないが、音楽の世界では『和田怜士』を生きて、これまでできなかった姿勢でもって、ここまで成し遂げられなかった事を成し遂げたいと思っている。はっきり言って、「和田一憩」を生きることにくたびれたというか、ウンザリというか、「和田一憩」という名前自体にくたびれてしまった感があるというか…とにかく、これまでの在り方に潔く見切りをつけて、猛々しく前進したいと考えるに至った。
私にとって、特別な意味合いのある二つの物。それが蝶とライチ。私は、こう見えて、殻に篭りがちな人間。言いたいことを言わなかったり、言えなかったりする性分で、いつからか自分の中に堅い殻に覆われた重いライチがあると考えるようになった。殻の中には、私がいくら歳を重ねようとも鮮度の落ちない、奇怪な感性の塊のようなものがあって、これは我ながらなかなか面白いものなのだが、いかんせん殻が恐ろしく堅い。ただ、音楽をやっている時と酒を呑んでいる時だけは別で、音楽をやれば殻を叩き割ることができるし、酒を呑めば殻を溶かすことができる。だから、ほどよく酒を呑んで音楽をやっている時の私はいわば「裸のランチ」ならぬ「裸のライチ」。私が最も私らしく呼吸をしている状態。
ライチは漢字で「茘枝」と書き、「レイシ」と読む。また、「レイシ」の音を数字にすると「04」で、私のラッキーナンバーになる。だから、「新田茘枝」の時同様、「レイシ」にこだわった。
人間、39年も生きれば、自分自身に新鮮味がなくなる。そして、自分の思う「できること/できないこと」に囚われるようになる。でも、芸術家や、作家や、芸人は、本名とは別の名を名乗ることで別人格を生きて、自分自身に新鮮味を取り戻すことができる。これは、芸術家や、作家や、芸人に許された処世術であり、特権だと思う。
今まで、「俺には無理だ」と回避してきたことも、怜士ならできるかもしれない。だから、やってみる。ということの繰り返しで前進していくので、ま、見といてください。海砂利水魚がくりぃむしちゅーに改名して以来の変貌っぷりを見せたるから。
以上、改名報告でした。
追記/改名を受けて、当ブログも近日中に生まれ変わります。管理人さん、何卒よろしくお願いいたします。