Monthly Archives: 1月 2016

39

今日、39歳になった。

歳をとったことを喜ばしく思っているわけではないが、38歳の自分が終わったことについては、大草原の真ん中に寝転がって叫びたくなるほど喜ばしく思っている。

39と言えば、太宰治が死んだのが39歳の時。こうなったらもう、治ちゃんの後を継ぐかの如き心持ちで、脇目を振らず、一心不乱に不良街道を突き進んでやろうと思っている。

活動再開が目と鼻の先に迫っている。

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NEWS38 〜兆し〜

通算41曲目。

新曲『道化師の息子』完成。

久々に納得のいく詩が書けたし、曲は高校2年の時に閃いて以降、ずっと消えずに頭の中に残っていた物だから、たぶん、大丈夫。

即戦力となってくれることを切に祈る。


女神のはらわた

芸術をオシャレなものだと思っているような人たちが取って付けたようにオシャレな格好をしているのを見るにつけ笑ってしまいそうになる。
芸術を「アート」などと呼ぶことで、手を汚さずに(何も創らずに)秋刀魚から内臓を取り除くような真似をして、内臓を食わずして「やっぱり、魚は秋刀魚よね」とか言ってる。

芸術って本来、視覚的に言えばグロテスクで、味覚的に言えば苦いもの。「オシャレ」の真逆を行くものだと思う。

確かに、芸術がオシャレに見えることもある。でもそれは、そこに、グロテスクな部分を覆い隠そうとする意図や、苦い部分を包み隠そうとする意図が、創り手の無意識の内にあるからであって、包装の艶やかさにばかり目を奪われて内容物に考えが及ばないというのでは、関西スーパーで買ったものをイカリスーパーの紙袋に入れて持ち歩いているオバハン連中のことを笑えないと思う。


ビッグバン・ブルース

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大阪で暮らしていた頃、その末期、外は緊張の連続で、内は窮屈以外の何物でもなかった。

何かしら爆発したいが、爆発の仕方がわからなかった。しかし、今にして思えば、「仕方」を考える余裕のある内は、爆発など起こり得ない。仕方を考える余裕がなくなった時に、爆発は起こる。「仕方がない」とはまさにこのこと。

爆発に理屈なんて無い。だから、言葉を求められても困る。上手く説明できるくらいなら、そもそも、爆発なんてしないし、上手く説明できる爆発なんて爆発ではない。特に、言葉を不得手とする人間にとっては、訴えの全てを、前後不覚な行動に託すより他ない。

古代中国の兵法に「追い詰められた敵、追うべからず」というのがある。追い詰められた人間の爆発力というのは侮れないもので、度を越えて「追及」すれば、それこそ、「窮鼠猫を噛む」的なことになる。一般庶民の日常生活に於いて、そこまで人を追い詰める必要がどこにあるのだろうか?鼠に噛まれたら、それはもう完全に自業自得だ。

笑いの世界では、笑いの基本的な仕組みは「緊張と緩和」にあるという。ピンと張り詰めた緊張の糸を一気に緩和させた時に爆発的な笑いが起こる。思うに、何事も、緩和のために緊張があるかのような状況こそが好ましいのではなかろうか。緊張と緩和が交互に来て、リズムを刻むような状況こそが望ましいのではなかろうか。緩和無く、ただひたすらに緊張だけを押し付けるというのでは、能率も忠誠心もへったくれもありゃしない。

追い詰められた人間がいる。
追い詰めた人間がいる。
追い詰められて爆発した人間にも多大な責任はあるが、そこまで追い詰めた人間にも、追い詰められた人間に勝るとも劣らない責任があると思う。

緊張が沸点に達して爆発するというのは、科学的にも、ごくごく自然なこと。もし、爆発が起こらなかったとしたら、それこそ不自然の極み。
ビッグバン無くして宇宙は生まれなかったんだし、新しい物事はいつも、大きな爆発の後に生まれるものなのでは?

そう考えるより、仕方ないよ。


追悼:デヴィッド・ボウイ

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1月10日、デヴィッド・ボウイが亡くなった。

バンドをやっていると、ボウイ好きを名乗る人と知り合う機会が多々あり、かくいう私も『ジギー・スターダスト』と『ハンキー・ドリー』と1972年のライヴ盤はよく聴いた。『ジギー〜』の中では「レディ・スターダスト」が、『ハンキー〜』の中では「チェンジズ」が特に好きでよく聴いたが、他のアルバムも聴いてみたいと思うほどハマることはなかった。偶然、中古屋の激安コーナーに95年の『アウトサイド』と97年の『アースリング』が紛れているのを見つけたので買い、聴いてみたことはあるが、いずれも何だかよくわからなかった。それから、ニルヴァーナがカバーした「世界を売った男」や、オアシスがカバーした「ヒーローズ」は大好きで、相当聴き込んだが、なぜか原曲を聴きたいとは思わなかった。

私の中でデヴィッド・ボウイは、「歴史に残る偉大なロックスターであるにも関わらず何がそんなに良いんだかイマイチよくわからない人」の最高峰的存在であると同時に、「いつか必ずわかりたい人」の代表的存在でもある。

理解したいから、いつか必ず理解できるようになると思う。理解できるようになったら、どうせ、めちゃくちゃ好きになると思う。めちゃくちゃ好きになるのは目に見えているが、今のところはまだ、理解できずにいる。

結構、悔しかったりする。


任務~隣の天才へ②~

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期限ギリギリまでやらずに放置しておいて、期限ギリギリになって猛烈な勢いでダアーッと片付けてしまう人と、期限はずっと先の話であるにも関わらず、一日でも早く片付けてしまいたいと躍起になる人がいるが、これはタイプの問題ではない。自信の問題だ。

どちらが良くてどちらが悪いという話ではないが、より大きな成果をあげるのはいつも、自信があって、自信がゆえの賭けに出ることができて、その賭けを楽しめる人だと思う。とは言え、常に自信満々というのは、常に自信が無いのと同じくらい気持ちの悪いことだとも思う。

エリック・クラプトン曰く、「ステージに上かったら自分が一番上手いと思え。ステージを降りたら自分が一番下手だと思え」


夙川恋唄

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夙川駅前の川沿いのベンチで、夫婦と見られる年配のカップルが談笑しており、あまりに素晴らしい光景だったので、まことに失礼ながら、勝手に撮影させて頂いた。