Monthly Archives: 12月 2015

音源完成

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来年を皮切りに、名刺に添えて配布する音源が完成した。

タイトルは『OVERTURE DEMO×3』

ジャケットは数年前に描いた『仮面』を使用。裏ジャケは極めてシンプルながら、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』をちょっぴり意識。曲は全3曲で、①『モナリザ』と③『青空』はリプライズ解散後に、同バンドの鍵盤叩き、アビィの協力を得て、梅田のスタジオ『246』(今はもう無い)でレコーディングしたもの。また、②『ここで待つもの』は、ベース/コーラスに剣吾、鍵盤/コーラスにアビィ、ドラムによっしーを擁した頃のリプライズの音源である。

パソコンを駆使できない私。いかんせん、手作り感丸出しだが、内容的には、僅か3曲とはいえ、なかなかの濃度だと思う。


大杉蓮根

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今、私の奥さんがせっせとお正月の料理を拵えてくれている。

たまに包丁を研いでいる。

「うわっ!頭蓋骨を半月切りにしたものが水に浸してある!」と思ったら蓮根だった。


嗚呼、再会のジャム・セッション

先日、ある音楽仲間と十数年振りに再会した。

19時、阪急塚口駅前。「一憩!」という懐かしい声がして、振り向くと彼がいて、その姿を見るや私の頭の中の何らかの線が爆竹的な破裂音を立ててブチ切れて、嬉しくなって、気付いたら奇声をあげて飛びついてしまっていた。そして、その旧友を連れてきてくれたのは他でもない。私の唯一無二の戦友。アルファベッツ~リプライズ~バタフライと、長年に渡り共に戦った剣吾くん。3人で駅前の「BUTTERFLY BAR」に移動して4時間に渡って酒を酌み交わした。

4時間、話題はずっと音楽のこと。音楽以外のことはびた一文話していない。会話の中に何度「ロック」という単語が登場したことか。話しても話しても全く飽きがこず、それはまるで、客ほったらかしで展開するクソ長いジャム・セッションのようであった。

「やっぱ音楽やらなアカンで!」3人とも、来年、心新たに火蓋を切って落とす活動に胸を躍らせている。別れ際、「来年からまたよろしく頼むで!」と言って、握手を交わした。

バーで流れていたガンズ・アンド・ローゼズのロックンロールに心地良い追い風を感じて、酒が無闇に美味かった。


悪夢

ついさっき、こんな夢を見て目を覚ました。

私の部屋で数人の友人たちが酒を飲んでいる。中に、訳あってある時期から全く付き合いのない学生時代の友人がいて煙草を吸っているのだが、灰を灰皿にではなく、部屋に敷かれた赤い絨毯の上に落としてヘラヘラ笑っている。絨毯には大きな穴があいており、穴は絨毯を貫いて、床を深くえぐってしまっている。にも関わらず、友人はヘラヘラと笑って煙草の灰を落とし続けている。

私は「出ていけ!」と叫んだ。が、友人がいっこうにヘラヘラ笑いをやめないので続けてこう叫んだ。「俺が怒るのは俺が絶対に怒らへん人間やと思って調子にのってる奴に対してだけや!」肩を震わせて涙ながらに訴えている。

それから、友人が私の部屋を出ていったのかどうかは定かではない。私は相当に酔っ払っている。しんどい。私は急に老人施設での仕事のことが気になってシフトを見た。あろうことか朝7時からの早出となっている。壁に掛けられた時計を見ると5時。あと2時間しかない。あと2時間しか眠れない…焦る私を、病気の親父が気弱そうに眺めている。

目を覚まして時計を見ると5時だった。


蛸も常に飛んでいる

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一日に一度は必ずギターを弾くようになり、左手の指にギターだこが蘇った。

新しい曲をひとつ書いたが、これまでの自分の作風・癖が露骨なので迷わずボツにした。
頭の中に、メロディの断片が山ほどあるのだが、どれもこれも、どうにもこうにも形にならない。そもそも、形にする必要があるのか?コラージュ的な感じで、中期ビートルズのレノンに憑依していただくなどして、なんとかならないだろうか…と日々模索している。

いずれにせよ、蛸が蘇ることによって、ただそれだけのことで、人混みの中を歩く際に、劣等感みたいなものを感じずに済むようになった。


魚は常に飛んでいる

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そもそも、『水を得た魚』という言葉自体が相当おかしいと思う。魚なんだから、「得る」もなにもない。にも関わらず、こんな言葉をあえて発明し、言い、聞いて感銘を受けてしまうところに、人間の業のようなものがあるような気がする。

まず、自分が何者なのかがわからないという不思議。こんな間抜けなことがまかり通るのは自然界の中で人間だけ。そして、自分が何者なのかがわからないから、当然の如く、自分にとって何が水なのかがわからないという不思議が生まれ、さらには、幸いにも自分が何者なのかをわかっており、自分にとって何が水なのかをわかっていたとしても、わかっているにも関わらず、そこへ身を投じたり、それを得たりすることに涙ぐましい気合いを要するという不自然極まる摩訶不思議が続く。

一体何のための知恵なのか。
知恵があればあるほど不自然になる。
「不自然」と書いて「ストレス」と読む。

一体何に、誰に気を使ったら、こんな救いようのないクルクルパーに仕上がるのか。水を得るのに必死こいてる魚なんて見たことない。

得るもなにも、水が無きゃ生きていけないのが魚。魚が生きているということはそこに水があるということ。これは人間にも同じことが言えるはずで、一人格にも同じことが言えるはずで、自分が何者なのかさえわかっていれば、そしてそのことに無駄な知恵を挟まず、疑わず、ただひたすらに従順でさえあれば、羽根なんてなくたって、空なんて飛べなくたって、人間は本当は十分に自由な生き物なのではなかろうか。


名刺二号

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毎回毎回、手書きでいく。

一枚一枚、気持ちを込めて。

でも、このシンプルなやつを一枚描くのに2時間以上かかってるから、10人や20人に渡すとなると…考えないことにする。