覚醒の瞬間

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私は、自分が生まれて初めて、笑いを取りにいった瞬間を、今でもはっきりと覚えている。

それは小学2年の時だった。

担任は「岩本」という、割と厳しい、不細工なオバハンだった。

その日、キノコ頭の私は、かんじれんしゅうちょうを開き、点線をなぞって漢字を書いていた。先生の指示に従って、赤、青、黄といった、色にまつわる漢字を書いていた。

授業中、先生が皆に問うた。「みんな、赤といえば何を思い浮かべますか?」

皆が「信号!」「郵便ポスト!」などと答える中、私は「うどん!」と答えた。

「じゃ、緑は?」と先生。

皆が「○○くんの着てる服!」「葉っぱ!」などと答える中、私は「そば!」と答えた。

これは実話。一切誇張していない。

はっきり言って全くウケなかった。先生は「一憩くんは独特ですね…」と顔を引きつらせて失笑し、友達たちは皆、私のこれでも喰らえ的な勢いに押されて少し笑いはしたものの一様に「???」といった感じだった。でも、私は、その時の心境をはっきりと覚えている。

「ボクが一番面白い」

失笑と「?」に見舞われても、自分が一番面白いと思う感じ。
失笑と「?」に見舞われれば見舞われるほど、自分が一番面白いと思う感じ。
一番面白いと思うことをやればやるほど、失笑と「?」に見舞われてしまう感じ。

今も全く変わらない。


言葉嫌い成れの果て

ここにこうやって文章を書き殴って、それから音楽をやって、それからたまにイラストも描いて…我ながらこの野蛮な表現欲には呆れる。

好き嫌いの問題ではなく、私が絶えずやり続けてしまうのは「考えごと」だ。いつも、ひたすら、ああでもないこうでもないと考えている。もはや楽しいのか楽しくないのかさえわからない。ひょっとしたらひとつも楽しくないのかもしれない。たぶん、ひとつも楽しくない。でも、やめるわけにもいかない。

考えごとは、頭が悪くてもできる。結果はさて置き、過程を噛みしめることは誰にでも…馬鹿でもできる。私クラスの馬鹿ともなると、噛みしめることに重きを置き過ぎて、美味いのか不味いのかといった問題は完全に度外視。結果、味覚が機能しなくなってしまっておる感無きにしも非ず。

味覚が機能しなくなってしまっているというのはつまり、舌の問題。私は文章を書いたり、歌を歌ったり、イラストを描いたりして、ゴミ屋敷と化した頭の中のものを少しでも多く吐き出そうと躍起になっているのだが、皮肉なことに、私が最も苦手としており、生涯の天敵だと見なしているのが『言葉』であることに変わりはない。


四次元台

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それは愛嬌と言える。間違えたっていいじゃないか。ど忘れしたっていいじゃないか。間違えることより、ど忘れすることより、カッコ悪いことがある。

私は、譜面台に置いた歌詞カード及びコード表を見ながら歌うことほどカッコ悪いことはないと思っている。オリジナルを歌う時には特に、「無い」と思っている。何十曲も歌うというのなら話は別だが、たかが5、6曲歌うだけの話。しかもおのれで作った曲。おのれで作った曲くらいちゃんと覚えてこい。頭と身体に馴染ませてから出直してきやがれと思ってしまう。俳優が台本をガン見しながら演じてたら嫌だろう。
ライヴ中、曲と曲の合間に、くだらない世間話をしながら、「じゃ、次はどの曲を歌おっかなあ〜。ウフッ♡」などと呟いて、譜面台の上のノートをペラペラめくることほど、歌うたいとして間抜けな姿はないと思っている。お前が何を取り出して見せようと、その驚きはドラえもんの足下にも及ばない。何でもいいからさっさと歌って、もしくは歌わずに、次の人にステージを譲りやがれと思ってしまう。

『用意した言葉感』というのがあって、それは例えば、結婚式で祝辞を述べる際にも、就職の面接で自己紹介をする際にも、真実味に欠けるというかなんというか…みすぼらしいと思う。

基本、譜面台の使用が許されるのは、クラシックの人と、回転寿し屋で順番待ちの書き込みをする時だけだと思っている。


初詣

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私の神様がおるとされている神社にお参りに行ってきた。

私はただ、「無理なく自然に、実直に、自分らしく生かせてください」とだけ祈った。間違えても、「この祈り、叶えてくれんかったら燃やすぞ」的なことは念じていない。

私は、我の在り方に実直であればあるほど、社会的にはどうしても0点になる。従って、今年の抱負も『不良』でいく。

『不良』を抱負とするのは3年連続のことだが、今年は今まで以上に不良であることが肝要。不良街道を突っ走らせて欲しい。

この祈り、叶えてくれんかったら燃やすぞ。


音源完成

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来年を皮切りに、名刺に添えて配布する音源が完成した。

タイトルは『OVERTURE DEMO×3』

ジャケットは数年前に描いた『仮面』を使用。裏ジャケは極めてシンプルながら、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』をちょっぴり意識。曲は全3曲で、①『モナリザ』と③『青空』はリプライズ解散後に、同バンドの鍵盤叩き、アビィの協力を得て、梅田のスタジオ『246』(今はもう無い)でレコーディングしたもの。また、②『ここで待つもの』は、ベース/コーラスに剣吾、鍵盤/コーラスにアビィ、ドラムによっしーを擁した頃のリプライズの音源である。

パソコンを駆使できない私。いかんせん、手作り感丸出しだが、内容的には、僅か3曲とはいえ、なかなかの濃度だと思う。