四次元台

20160108_025206.jpeg

それは愛嬌と言える。間違えたっていいじゃないか。ど忘れしたっていいじゃないか。間違えることより、ど忘れすることより、カッコ悪いことがある。

私は、譜面台に置いた歌詞カード及びコード表を見ながら歌うことほどカッコ悪いことはないと思っている。オリジナルを歌う時には特に、「無い」と思っている。何十曲も歌うというのなら話は別だが、たかが5、6曲歌うだけの話。しかもおのれで作った曲。おのれで作った曲くらいちゃんと覚えてこい。頭と身体に馴染ませてから出直してきやがれと思ってしまう。俳優が台本をガン見しながら演じてたら嫌だろう。
ライヴ中、曲と曲の合間に、くだらない世間話をしながら、「じゃ、次はどの曲を歌おっかなあ〜。ウフッ♡」などと呟いて、譜面台の上のノートをペラペラめくることほど、歌うたいとして間抜けな姿はないと思っている。お前が何を取り出して見せようと、その驚きはドラえもんの足下にも及ばない。何でもいいからさっさと歌って、もしくは歌わずに、次の人にステージを譲りやがれと思ってしまう。

『用意した言葉感』というのがあって、それは例えば、結婚式で祝辞を述べる際にも、就職の面接で自己紹介をする際にも、真実味に欠けるというかなんというか…みすぼらしいと思う。

基本、譜面台の使用が許されるのは、クラシックの人と、回転寿し屋で順番待ちの書き込みをする時だけだと思っている。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。