強者どもが夢の跡~後輩編①~

北村さん ☆☆☆
私より5つほど歳上で、私の3週間後に工場にやって来た。ゴツい身体で背が高く、ちょっとしゃくれていたがよく見ると武士のような男らしい顔をしていた。一匹狼的な気質があり、少し気難しいところもあったが、仲良くなると実によく笑う良い人だった。佐久間さんが社員になり、リーダーを辞めると、広田さん、私とともに成形のリーダーとなったが、広田さんと北村さんは犬猿の仲だったので、間に挟まれた年下の私は非常に気を使った。リーダーを含む派遣社員全員がクビになって、飲み会が催された時、北村さんは私のことを「人間観察師」と言った。そして今、私はこの記事を書いている。

溝脇さん ☆☆
「ま、俺男前やからな」が口癖のハスキーな声の人で、私は「ブルース溝脇」と呼んでいた。成形専属の設備担当で、機械の調子がおかしくなるといつも溝脇さんに直してもらっていた。当時、私は家庭の悩み事を多く抱えていたのだが、それを相談すると仕事そっちのけで親身になって聞いてくれた人であり、そんなところが確かに男前で、ブルースだった。

長友さん ☆
名前はかろうじて思い出せたが、すぐに辞めていなくなったのでほとんど何も覚えていない。ただ、身体がデカくて温和で、なかなかのいじられキャラだったことだけは覚えている。

岩男くん ☆☆☆☆
モノマネでお馴染みのコロッケをさらに濃くしたような顔をしていた。若干態度がデカく、仕事のできる自分をアピールしたがる癖があったので皆からは嫌われていたが、私は彼のことが好きで、彼も私を「師匠」と呼んでくれていた。彼は私より一足先に工場をクビになった。私はその送別会に参加して、別れ際に「岩男くんの師匠は俺やで!覚えといてや!」と言った。笑顔で振り向いて「はい!」と爽やかに答えた岩男くんの顔はコロッケよりも薄かった。

高松さん ☆☆☆
怯えた犬ような人で、いつも自信がなくてビクビクしていた。私はなるべく彼と一緒にいるようにして、何度も彼を励ましたが、3ヶ月もしない内に辞めてしまった。まさか、それから数年後、心療内科の待合室で再会することになろうとは思いもしなかった。

朝倉 ☆☆☆☆
長身の、何かぶっ飛んだ奴で、最初は私と同じ日勤だったが、途中から夜勤に異動した。頭が悪いのか、悪気なく人を傷付けるタイプの人間で、平然と「和田さんって、いっつも靴ボロボロですよね」と言われた時には殴ってやろうかと思った。


強者どもが夢の跡~同期編~

広田さん ☆☆☆☆
天六商店街の酒屋の息子で、私より7つ歳上だった。顔は安倍晋三に激似で、それは本人も認めるところだった。最初は、先輩連中に取り入るばかりで同期の人間を馬鹿にしているかのような態度が見てとれたので苦手だったが、先輩連中が次々と辞めていき、広田さん自身や私がベテランに数えられるようになってくると態度は徐々に軟化して頻繁に接するようになり、最終的には一緒になって工場のやり方に苦言を呈す良き戦友となった。酒屋の息子だけあって無類の酒好きで、休憩時間に「ちょっとガソリンを」と言ってビールを飲みに行くことがあった。非効率な仕事のやり方を押し付けてくる部長の姫野さんに対して「あんたはアホか!」と一喝して以降は皆から「兄貴」と呼ばれ、慕われるようになった。派遣切りが本格化して、工場の業績が一気に傾き、出勤しても仕事がないといった状況になってくると、私は社員に隠れてそこら辺の裏紙にイラストを描くようになったのだが、広田さんはそんな私に「イラストレーターになれ」と言って、社員が突然現場に入ってこないようにずっと見張ってくれていた。私服姿は完全にVシネマのチンピラだった。

肇(はじめ)ちゃん ☆☆☆
私と同い年で、面接の段階からかなり親しくなった。面接の時、一人だけスーツを着ており浮いていた。「物心が付く歳になるまでわらじを履いて生活してた。周りにも靴を履いてる奴なんていなかった」と言うくらいド田舎の生まれで、超マイペースにしてド天然だった。保険の勧誘を受けると断れなくて3つも加入しているものだから、毎月「給料が残らない」と言って嘆いていた。社員の見ているところではよく働くが、見ていないところでは全く働かず、また、自分は暇なのに忙しい同僚を助けるということを一切しなかったので、2年半後には工場で最も嫌いな奴になっていた。

前田さん ☆☆☆☆☆
以前も当ブログに登場した、虫歯をヤスリと気合いで治すと言い張った伝説の男である。1年ほどで辞めていなくなったが、入社当時から何故か私のことを気に入ってくれて、休憩時間はいつも一緒だった。競馬で一攫千金を狙うためだけに生まれてきたような駄目な人だったが、話術にはなかなかのものがあって、しょっ中爆笑させてもらった。昔、ファミコンで「スペランカー」というクソゲーがあったが、あれを人類史上初めて「名作の中の名作」と言い張った男でもある。


強者どもが夢の跡~先輩編③~

グリセル ☆
ブラジルの女の人で、なかなか可愛かったが全く働かなかった。

ミッシェル ☆
ブラジルの男。私が入って3ヶ月ほどで辞めていなくなったからほとんど何も覚えていないが、あまりに働かないのでめちゃくちゃイライラしたことはよく覚えている。あと、辞めていなくなってから、実はドラッグの売人だったというオチがあったことも覚えている。

ジーナ ☆
毎朝、明石から電車に乗って働きに来ていたブラジルの女の人。グリセルは可愛いキャラだったが、ジーナは知的な美人キャラで、グリセルよりずっと日本語が上手かったし、驚くほどよく働いた。私がブラジル人の中で唯一親しくしていたのがジーナだった。

武内さん ☆☆☆
端正な顔立ちの男前ながら、高田純次的なテキトー感が炸裂していて、働きに来ている感皆無の底抜けに陽気な人だった。工場内で、工場の仕事とは全く関係のない、ネズミ講みたいなことに手を出していた。私の顔を見るといつも芸能人を見つけたかのようなビックリした顔をして、「わ、和田さんですよね!」と言って握手を求めてきたのだが、これが不思議なことに、何度も繰り返しやられてる内に面白くなってきて、しまいには武内さんの顔を見るだけで笑いが込み上げてくるようになった。そうかと思えば、まだ入りたてで緊張し倒していた私に「大丈夫ですよ。どんな仕事だっていつかは「見えた!」っていう瞬間が来ますから」という言葉を掛けてくれたりもしたし、休憩時間に、神崎川に架かる橋の下で暗い顔をして体育座りをしているのを見たこともある。最後まで掴みどころのない人だった。

大越さん ☆☆☆
ブサイクな上、性格の悪い背の低い女の人だったが、なぜかさほど嫌いにはなれなかった。古株で態度がデカいので、影では「お局」などと呼ばれていた。派遣切りが吹き荒れ始めた頃、なぜかちょっと色気づき始めたので、皆で「あれ?最近ちょっと綺麗になりました?彼氏でもできました?」と繰り返し声を掛けてみたところ、微妙に物腰が柔らかくなって、「ウフフ」みたいな笑い方をしたのでどつきたくなった。

永野さん ☆☆☆☆
常に驚いたような顔をした謎に満ちた男で、無口で挙動不審のアル中だった。「ヘビーメタルが好きらしい」というどうでも良過ぎる情報に吐くほど笑った覚えがある。


強者どもが夢の跡~先輩編②~

ファンディ ☆☆☆☆☆
私より5つ年下の頭のハゲた中国人。背は低かったが、筋肉質な身体をしていて、目がクリッとしていた。私が最も仲良くしていた同僚。いつも陽気で、非常に優しい奴だった。口癖は「アカンで!」で、右腕には「竜」と一文字刺青があったが、よく見てみると刺青ではなくマジックで書いてあるだけだったのでアカンかった。昼食時、食堂のテレビでニュースを見ていたら、中国で大地震があって大勢の死者が出たとの報道があり、「ファンディ、中国えらいことになってるで!」と言ったら、至って冷静に「中国人何人おると思てんねん。死んだらええねん死んだら」という返事が返ってきて思わず笑ってしまった。それから、ファンディは毎週欠かさずロト6を買い続けていたがびた一文当たらなかった。そして、ハズレの紙を捨てずに大切に財布に保管していくものだから、財布の膨らみだけは1等を当てた人みたいになっていた。内線の電話が鳴り、「はい、浦山です」と浦山さんのモノマネをして出たら電話の相手が浦山さんだったこともある。また、ある日私は、ファンディの「ファンディ」と書かれた名札をこっそり「パンティ」に書き換えたのだが、ファンディはいっこうに気付かなかった。歯を食いしばって重い樹脂の袋を運ぶパンティ。全神経を指先に集中して直径1ミリほどのレンズをエアピンセットでひっくり返すパンティ。背後から同僚に忍び寄り、カンチョーを食らわせて喜ぶパンティ。浦山さんの指示を神妙な顔をして聞いているパンティ。自分がパンティであることに気付くやいなや「アカンで!」と叫んで私に飛び蹴りを食らわせてきたファンディ。

私が工場をクビになった日、ファンディもクビになった。一緒にエレベーターに乗って、一緒に工場を出て、工場の前にある立ち飲み屋でビールを飲んだ。


強者どもが夢の跡~先輩編①~

駒井さん ☆
私と同い年で、最初に私に仕事を教えてくれた師匠。恐ろしく器用で、恐ろしく仕事が早かったが、人格的に軽薄なところがあり、恐ろしく信用できなかった。

辻さん ☆☆☆
超有名化粧品会社の副社長の息子。駒井さんの幼馴染。金髪のオールバックで背が低かった。工場で働く前は20代にして風俗店を営んでおり、デカい外車を乗り回していたが、店が潰れたことによって車を売り、別に金に困っているわけではないが社会勉強として工場で働くことにしたと言う。工場から支給された白い作業靴にマジックで「NIKE」と書いていたがひとつも面白くなかった。休憩時間、「高校の時、部活何してた?」という話になって、私が「帰宅部です」と答えたら、「そんな部はない!」と叫んで、突然本域でキレだしたから怖かった。

吉岡さん ☆☆☆☆
第一印象は駄目な人。突然辞めていなくなるまでこの第一印象が更新されることはなかった。バイアグラを一気に5錠飲んでブッ倒れて、42度を超える高熱にうなされながらもポコチンがギンギンなのでビデオ試写室に飛び込んでガリガリになるまで励んだ伝説を持つ。

加藤さん ☆
元阪神の赤星がヒゲを生やしてヒップホッパーを名乗っているような風貌のヤンキー。決して悪い人ではなかったが、なんとなく苦手だった。

上坂さん ☆
なぜか「ゴールド」と呼ばれていた豚のような肌感をした大阪特有のヤンキー。板東英二のモノマネを得意としたがひとつも面白くなかった。個人的には、加藤さん以上に苦手だった。ちなみに加藤さんもゴールドも私より少し年下であった。


強者どもが夢の跡~上司・社員編~

浦山さん ☆☆☆
私が配属された部門「成形」(部門は大きく分けて他に蒸着と組立があった)の主任。あまりに目つきが悪いので、初めて会った時は完全に「終わった…」と思ったが、実際は非常に物静かな人で、特技は立ったまま寝ることだった。派遣切りで同僚が次々と姿を消していく中、とうとう私の番がきて最後の出勤日。帰ろうとエレベーターに乗ったらエレベーターの所まで走ってきて「本当に申し訳ないと思ってる」と言ってくれた人。

姫野さん ☆☆
浦山さんより地位は高かったが人望は低かった。トミーズ健を太らせたような風貌をしており、なぜかよく左足を軸にくるくると回転していた。

三好さん ☆
どこにでもいそうな人畜無害な天パのおっさんだが、裏では相当ないじられキャラだった。皆こぞって三好さんを題材に笑い話を創作した。「三好さんってな、毎日仕事終わりにコンビニでアンパン買ってな、コンビニ出たらそっこうアンパンゴミ箱に投げ捨ててな、家帰ったら「またボクのアンパンないやんかっ!」言うて泣くらしいで」というキチガイ染みた話を作ったのは私だった。

佐久間さん ☆
サッカー日本代表のキャプテン長谷部に似たシュッとした男前。私より5つくらい年下で、成形のリーダーだった。最初は男前特有のいけすかない感じがあって苦手で、ほとんど口をきかなかったが、1年くらい経ったあたりから自然と喋るようになって、最終的な印象はええ奴。

福岡くん ☆☆
高校を出たばかりの若い社員で、ラグビーをやっていたこともあって身体がやたらとゴツかった。最初は「俺は社員だ」的に態度がデカくて嫌いだったが、佐久間さん同様、日を追うごとに親しくなって、最終的には恋愛相談を受けるまでになった。天王寺の遊郭で10万払ってめちゃくちゃな美人を紹介してもらって童貞を捧げた話は何度聞いても楽しかったが、「和田さん、やっぱ風俗ですよ!」とか言うてる奴の恋愛相談を受ける身にもなれと思った。

長野さん ☆
女が数えるほどしかいない野郎ばかりの職場に於いて、成形の隣りの「検査」で働く長野さんは割と人気があった。作業中は皆、目の部分だけあいた防塵服を着ていたのだが、目の部分だけだと、長野さんはかなりの美人に見えた。目の周りが綺麗な人は顔立ちそのものが綺麗なんだと、工場で働くまでは信じていた。

永田さん ☆☆☆
事務所のOLさんで、中川翔子をさらに可愛くしたような顔だったが、首から下が黒沢かずこだった。

松浦さん ☆
顔は嵐の櫻井翔に似た男前だったが、とても背が低くてちょこまかと動き回る姿はチョロQを彷彿とさせた。2年半、同じ現場で働いてはいたが、私とは生きる世界が根本的に違うみたいで、ほとんど口をきいたことがない。


強者どもが夢の跡~まえがき~

私は、29歳の時、大阪吹田の神崎川沿いにある工場で働き始めた。
この工場は、海外の携帯電話などに組み込む樹脂製のレンズを作る工場で、派遣切りに遭うまでの2年半働いた。今にして思えばかなり過酷な2年半だったが、同僚が皆、独特なキャラの持ち主だったので、ハードな割には楽しくて、辞めたいと思ったことは一度もなかった。そこで今回、当時一緒に働いていた同僚たちのことを、私自身の記憶がしっかりしている内に、当ブログの記事として残しておくことにした。忘れてしまうにはあまりに惜しい、惜し過ぎる面々だと、心から思うからである。

上司・社員、先輩、同期、後輩の順で紹介していく。名前の横にある☆印はキャラの濃度を5段階で示したものである。

では早速始めよう。想像力のある方には、それなりに…いや、かなり楽しんで頂けるはずである。

キャラの巣窟だった、あの日のKライト製作所へようこそ!

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ガラスがそこにあるだけで

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セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
どちらかやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころをもちましょう
そういうわたしはいつもセトモノ

これは私の嫌いな相田みつをの言葉で、今、AC JAPANのコマーシャルでナレーションされている。「そういうわたしはいつもセトモノ」というオチのおかげで幾分説教臭がやわらいで、悔しいけど、ちょっと考えさせられるものがある。

確かに、どいつもこいつもセトモノだなと思う。そして、セトモノとセトモノがぶつかりっこしてこわれてしまうことのないように、セトモノとセトモノの間に挟まれる役を任されたやわらかいこころの持ち主は大変だなと思う。でも、正直なところ、私にはこの「やわらかいこころ」というのがよくわからない。「セトモノ」に対して、「やわらかいこころ」という言葉はあまりに漠然としていて抽象的だ。やわらかいこころって一体何だ?商店街でおはぎか何か売ってるおばちゃんあたりが持っているんだろうか。

私は、セトモノとセトモノの間に挟まって、セトモノとセトモノがこわれてしまうのを防げるのは、ガラスだけだと思っている。


万華鏡

抽象画がよく「わけがわからん」って言われるように、詩もよく「わけがわからん」って言われる。
私の歌詞はよく「わけがわからん」って言われる。それもそのはずで、私は、厳密に言えば、歌詞などほとんど書いたことがない。私はいつも詩を書いて歌ってきたつもりだ。

日本人アーティストは詞を歌う。あくまで日常的な伝達手段としての言葉。だから「歌詞」という。でも、海外のアーティストの多くは詩を歌う。視覚的な、絵画的な言葉の使い方。だから、日本語訳の歌詞カードを読んだとて、わけがわからないのは当たり前。「読む」というよりは見たり感じたりすることに重きを置いたものが詩。言葉で絵を描くーこれが詩だと、私は思っている。私は、吃りのひどかった子供の頃から、日常的な伝達手段としての言葉というものをあまり信用していないし、はっきり言って嫌いなので、想像力の持ち様によって解釈の仕方が幾らでも変わる、まるで万華鏡のような言葉ー詩を見たり書いたりすることの方がずっと好きなのである。

もし、目をつぶって、瞼の裏側に映るものがあって、それが自分の、人の、「心」と呼ばれるものだとしたら、それこそまさに抽象画みたいな感じなんじゃないかと思う。上下左右の判然としないヒダだらけの、グロいんだかエロいんだか綺麗なんだかわからないサイケデリックにカラフルなものが痙攣するように動き回転し続けて、額縁的な概念からどうにもこうにもはみ出してしまう宇宙的なイメージのようなものがあるんじゃないかと思う。そしてこれを半ば無理矢理言葉にして表現しようとした場合には、日常的な伝達手段としての言葉じゃ手に負えなくて、おのずと「詩」になるんじゃないかと思う。

「抽象画?わけわからん。詩?わけわからん。だいたいこの記事がわけわからん」などと言ってる人の中に、抽象画や詩やこの記事なんかよりずっとわけのわからんものが蠢いている。