変人の理由

私には反抗期らしい反抗期はなかったが、それでも、親父に対して怒りではらわたが煮えくりかえったことが何度かある。その中の一つが、我が家特有の教育、「作文チェック」であった。

小学生の時である。学校で作文の宿題が出ると、私が書いたものを親父がチェックする。誤字脱字については特に何を言われるでもないのだが、文体が少しでも形式に乗っとったものであったりベタだったりすると、こっぴどく怒られる。

「お前、何やこの書き出しは。しょうもない。こんなもん誰でも思い付くやないか」
「でも、普通みんなこう書くし、ここはこう書くしかあらへんやん」
「アホか!みんなが書くことをお前が書いてどないすんねん!お前には他人と同じ発想しか浮かばへんのか?だいたい普通って何や!」
「そんなこと言われたって…」

こんなやり取りがあって、小学生の私は頭を抱えて誰も思い付かないであろう書き出しを必死になって考えて、翌日学校へ行き、先生に提出したところ、意外なことに先生が「君の文章はいつも独特で面白い」と言ってくれたので、いつしか私は、作文を書くことが嫌いになるどころか、作文ほど楽しいものはないと思うようになって、数十年後、職場で研修の一環として、あるテキストについて感想文を書いて提出するように言われて提出したら、きれいに「変人」のレッテルを貼られたのである。
でも、その時私は別に、突拍子もない文章を書いたわけではないし、面白い文章を書こうと思ったわけでもない。100%嘘偽りのない本音を書き殴っただけである。本音を書いた人間を変人呼ばわりするのなら、始めから感想文なんて書かせなきゃ良いのにと思う。

大人社会では、本音を少し薄めると「面白い」って言われる。薄めることを一切しないと「変人」って言われる。


悪夢のマトリョーシカ

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先日、非常に恐ろしい夢を見た。夢から醒めることができない夢を見たのである。

夢の中で「自分は寝ていて、これは夢だ」という自覚があるにも関わらず、目を醒まそうと思っても醒めない。煩悶の末、ようやく夢から醒めたと思ったらそれがまた夢で…ということの繰り返し。
一度本当に目を醒ました時、目の前にカーテンの隙間があり、そこから光が射し込んでいたので、夢の中でこの画を思い出しながら目を開ければ夢から醒めることができるだろうと思ってもう一度寝たら、また夢から醒めることができなくなってしまった。
夢の中で、現実世界のカーテンの隙間と、そこから射し込んでくる光を思い出して目を開けたところまでは良かったのだが、その目を開けた自分がいるのが夢の中で…ということを延々繰り返したのある。

生きた心地がしなかった。


暗中模索

どうやら、2回目のメンバー募集も完全なる不発に終わったようだ。1本の反応もない。あったらここで即座に発表してる。

ここにきて、いよいよもって本格的に振るいにかけられてるなあと思う。無様に振り落とされるか、果敢に食らいついていけるかという正念場。ここでしっかりと踏みとどまれるかどうかに全てがかかってるんだと思う。

たまに、バンドでの活動を断念して「一人でやるか?」という発想が頭を擡げる時がある。それこそ、ボブ・ディランやニール・ヤングのアコースティックなやつを爆音で聴いたりなんかして。でもそれは、その形態は、私にとっては、妥協でしかない。私が本当にやりたいことではない。私がやりたいのはやはりバンドなんだから。ただ、最近思うのは、私が、私の本当にやりたいことをやろうと思えば、そしてそれをずっと継続していこうと思えば、バンドはバンドでも、メンバーの主義主張に左右されない、自分のバックバンドを持てたらそれが一番良いのかもしれないなということだ。
ノエルやポールのように「一憩」名義で、あくまで私がメインのバンド活動ができたら、多少のメンバー交代や形態の変化は、バンドのヘルシーな新陳代謝として「あり」だとしなやかに受け止められるんだろうし、解散なんてあってないようなものだし、私のやりたいことにとって最高の形なんじゃないかということだ。でも、それをやるには私はあまりに無名過ぎる。私をメインに立てても、メンバーには何の利もない。だから、メンバーを集めることが今よりずっと難しくなるのは目に見えている。「この指止まれ!」と言って突き立てた指に塗る蜜が私にはない。

何かと、何から何をどうすれば良いのやらさっぱりわからない。ただ一つ、ここで諦めたら元も子もないということだけわかっている。