変人の理由

私には反抗期らしい反抗期はなかったが、それでも、親父に対して怒りではらわたが煮えくりかえったことが何度かある。その中の一つが、我が家特有の教育、「作文チェック」であった。

小学生の時である。学校で作文の宿題が出ると、私が書いたものを親父がチェックする。誤字脱字については特に何を言われるでもないのだが、文体が少しでも形式に乗っとったものであったりベタだったりすると、こっぴどく怒られる。

「お前、何やこの書き出しは。しょうもない。こんなもん誰でも思い付くやないか」
「でも、普通みんなこう書くし、ここはこう書くしかあらへんやん」
「アホか!みんなが書くことをお前が書いてどないすんねん!お前には他人と同じ発想しか浮かばへんのか?だいたい普通って何や!」
「そんなこと言われたって…」

こんなやり取りがあって、小学生の私は頭を抱えて誰も思い付かないであろう書き出しを必死になって考えて、翌日学校へ行き、先生に提出したところ、意外なことに先生が「君の文章はいつも独特で面白い」と言ってくれたので、いつしか私は、作文を書くことが嫌いになるどころか、作文ほど楽しいものはないと思うようになって、数十年後、職場で研修の一環として、あるテキストについて感想文を書いて提出するように言われて提出したら、きれいに「変人」のレッテルを貼られたのである。
でも、その時私は別に、突拍子もない文章を書いたわけではないし、面白い文章を書こうと思ったわけでもない。100%嘘偽りのない本音を書き殴っただけである。本音を書いた人間を変人呼ばわりするのなら、始めから感想文なんて書かせなきゃ良いのにと思う。

大人社会では、本音を少し薄めると「面白い」って言われる。薄めることを一切しないと「変人」って言われる。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。