それはウケ狙いではないし、媚びているわけでもない。ただ期待に応えようとしてるだけでしょう。
あれはウケ狙い、それは媚びていると言って、期待に応える努力を完全に怠って、奇人変人道を爆走することの方がむしろ問題なのではないでしょうか。
それはウケ狙いではないし、媚びているわけでもない。ただ期待に応えようとしてるだけでしょう。
あれはウケ狙い、それは媚びていると言って、期待に応える努力を完全に怠って、奇人変人道を爆走することの方がむしろ問題なのではないでしょうか。
▲8/30、高縄手で叩くJr.さん。
毎年、イタソニの最後を飾る「摂津音頭保存会」。今年は、9月7日(土)に行われる予定だったのだが雨天により順延。翌日も午前中の雨の影響を受けて中止。
イタソニ2013の全日程が終了した。
私は今年、計12回、7会場に足を運んだ。そして、鶴田の初日と、高縄手の初日には踊りの輪に加わって、恥ずかしながら踊ってみた。なぜか雨絡みの日に限って踊ってみたくなった。
私みたいな奴のことを「あまのじゃく」と言うのだろうと思った。
あまのじゃくー漢字にすると「天邪鬼」。いい感じ。「朱雀」よりいい感じ。
来年は背中に「天邪鬼」の3文字が輝くはっぴを自腹を切って拵えて、着て、踊りの輪に加わってやろうかと思っている。
全っ然踊られへんけど…。
神戸でバンドをやっている同い年の友人が、2枚目のアルバムを完成させて、そのレコ発ライヴをワンマンでやるというので観に行くことにした。
思えば、私がライヴハウスの空気に触れるのは、2012年1月15日に行われたバタフライの1stライヴ以来のこと。あれから1年半以上も経過してしまった。
この空白期間、私は何をしていたのか。そう、ただひたすらに仕事をしていたのである。「仕事を安定させたら復帰する」と嘯いてはいたものの、日々の仕事をこなすことに精一杯で、あれよあれよとギターは埃を被り、私は自分が書いた曲のコードや歌詞を忘れていってしまったのである。引退するつもりなど微塵もなかったが、現実は現実、そういう状況だったのである。しかし、先月の親父の死を機に、「俺はやっぱり音楽をせねば!」と思い、自分自身の復帰とバタフライの復興を決意するに至ったタイミングで、「ライヴを観に来い」という誘いが飛び込んできたというのは、まさに時機到来、いよいよもって風が来たと、私は読んだのである。
私はあくまで、バタフライのリーダーとして、友人のライヴに足を運ぶ。そして、友人のライヴを観たら、私はどうせめちゃくちゃ悔しい思いをする。「なんでお前がそこで、俺がここやねん!」と。
私自身にめちゃくちゃ悔しい思いをさせるーそれが私の狙いだ。