散歩中に思うこと

同じような車に乗っている。

同じような家に住んでいる。

同じような音楽を聴いている。

同じようなことを言っている。

気付かないのか気付きたくないのか日本人。

「お前だって日本人じゃねえか!」って?

失敬な…。


一憩が選ぶ日本のロックアルバム10 (2013年度版)

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▲ユニバーサル・インベーダー/ニューエスト・モデル

以前は定期的に行っていたこのコーナーを久しぶりに。
捨て曲ゼロ。早送り無用。ジャケットデザインを含めたトータルで良くできていると思うものを私が!選りすぐったんだから間違いない。
順不同でお送りする。

1.ユニバーサル・インベーダー/ニューエスト・モデル(1992年発表)
<コメント>ニューエストの名盤と言えば、この一つ前のアルバム、90年発表の「クロスブリード・パーク」を挙げる人が多く、かく言う私もそちらからニューエストに入ったクチだが、完成度的にはこちらが断然上。圧倒的に上。日本のロックの歴史的名盤の一つだと思う。
<中古屋価格>高い。紙ジャケであれば¥1500はする。

2.アイズ/オリジナル・ラブ(1993年発表)
<コメント>私に「グルーヴ」という言葉の意味を教えてくれたアルバム。ロックとジャズを足して割ったような音楽を、日本人が日本語でやっていることに痺れた。ドラムを聴いているだけでも十分ノれる。気持ちいい。
<中古屋価格>極めて安い。ブックオフの¥250コーナーで入手可能。

3.ライブ+1/村八分(1973年発表)
<コメント>日本のロックアルバムの中から一枚を選べと言われたら、私は間違いなくこれを選ぶ。ロックを知らない人に「ロックって何?」と訊かれて、いちいち説明するのが面倒なら、このアルバムを爆音で聴かせてやれば済むと思う。凶暴なストーンズ。この頃の村八分と当たったら、当時のストーンズだって吹っ飛んでいたに違いない。
<中古屋価格>相当高い。間違いなく¥2000以上はする。

4.サニーデイ・サービス/サニーデイ・サービス(1997年発表)
<コメント>私が最近、最もハマっているのがこれ。聴けば聴くほど深みにはまるスルメアルバム。一聴、穏やかな音ではあるが、無神経に鳴らされている音が一音たりともなく、メロディもパンチがないようであって、次第にじわじわ効いて来る。ジャケットに牛の写真を使用していることから、ファンは「牛盤」と呼ぶ。
<中古屋価格>運が良ければブックオフの¥500コーナーで入手可能。高くても¥1000くらい。

5.BANG!/ブランキー・ジェット・シティ(1992年発表)
<コメント>ロック評論家で有名な渋谷陽一氏をして「うわっ!こりゃ本物だ!本物のロックだ!ってことはつまり、全然売れないんだろうな…」と唸らせたことで有名なブランキー初期の名盤。ベンジーの才気が妖艶に殺気立っている。ちなみに、ブランキーのドラマー中村達也は、私が最も好きな日本人ドラマーである。
<中古屋価格>割りと高い。状態にもよるが、¥1200くらいはする。

6.バームクーヘン/ザ・ハイロウズ(1999年発表)
<コメント>どの曲にもメッセージ性があり、中途半端な実験など一切しておらず、ストレートなロックンロール全開で、ヌルい曲は一切入っていない、ヒロト&マーシーの長いキャリアに於ける最高傑作。プロデューサーとしてはほとんど素人の二人が「カッコよけりゃいい」と言って作った割れ気味の音が最高にカッコいい。
<中古屋価格>状態が良ければ¥1200
~¥1500くらい。

7.リサイクル/スピッツ(1999年発表)
<コメント>ベスト盤。今さら言うまでもないがメロディが良い。そして、機械的でない素直なバンドサウンドが心地よい。シンプルかつコンパクトな名曲が13曲、当たり前のような顔をして並ぶ。シンプルかつコンパクトゆえ、何度聴いても飽きがこない。良い。
<中古屋価格>スピッツのベスト盤としては最も古い、初期のものなので、ブックオフの¥250コーナーで入手可能。

8.ビート・シンフォニック/ザ・コレクターズ(1999年発表)
<コメント>1986年の結成以来一度も休止することなく、現在も現役バリバリで活動する日本最強のモッズバンド、ザ・コレクターズが自信を持って、勝負を賭けてリリースしたものの、ほとんど鳴かず飛ばずに終わってしまった隠れた名盤。コレクターズにしては珍しく重厚、ヘビーな音ながら、加藤ひさしのロマンチシズムはいつも通りの炸裂っぷり。「勝負を賭けた一枚だった」と加藤ひさし本人が語っているのも頷ける完成度の高い曲がズラリと並ぶ。これが売れなかったのは間違いなくレコード会社のせいだ。
<中古屋価格>安い。が、あまり出回っていないので見つけるのが困難。運良く見つかれば、¥1000以下で入手可能。

9.ファースト・アルバム/ザ・カーナビーツ(1968年発表)
<コメント>私は日本のGSが大好きである。タイガースもスパイダースも好きだが、一番好きなのはカーナビーツで、私にとってGSのカリスマと言えば、沢田研二でも萩原健一でもなく、カーナビーツのアイ高野である。
昭和40年代、どこよりも早く海外の最先端のロックが入ってきた街ー横浜で結成されたカーナビーツの音楽に比べれば、他のGSはただの歌謡曲である。アイ高野の発言「デビュー前から、東京や大阪のバンドはダサいって思ってたよ」は有名。
<中古屋価格>高い。¥1800はする。

10.ラブ・オブ・ザ・グリーン/スマイル(1998年発表)
<コメント>オアシスやストーン・ローゼスといったUKバンドからの影響を驚くほど上手く消化して、日本語で歌い上げたバンドの3rd。レコード会社が作ったアイドル路線から脱皮して、自分たちが本当にやりたい音楽をやろうと制作したものの、セールスはガタ落ち、解散へのきっかけともなった一枚ではあるが、これが、この音が理解されなかったのはただ「早過ぎた」のだと私は思っている。「10年に1度の逸材」と謳われ、ミスチルに対抗できる唯一のバンドとしてデビューしたスマイル。これは、ミスチルになれなかったバンドが作った、「深海」になれなかった一枚である。
<中古屋価格>過小評価過ぎて激安。ブックオフの¥250コーナーで入手可能。


孤軍沸騰

とにかく数で圧してくる。

「個」は弱い。アホばっかり。弱くてアホな自分を誤魔化すように数で圧してくる下品な人たち。とにかく数。数、数、数。タチの悪いいなかの不良。「質より量」という言葉の権化のような人たち。「私たちは」という卑怯な前置詞抜きに喋れんのなら、「私は」を前置詞に喋れんようなら、はなっから喋るな!

手を合わせて拝んでいるーその手で、その身体で、もっと具体的に人を助けたらどないだ!

手を合わせて拝んでいるーその声で、言葉で、もっと具体的に人を助けたらどないだ!

全国的に、看護、介護の人手不足が叫ばれている一方で、宗教団体の数は年々増え続けていて、何らかの宗教に入信している「信者」の数は、日本の総人口の数を超えているらしい(つまり、一人で複数の宗教に入信しているアホが結構いるということ)。

いるか?宗教。拝むしか脳のない奴なんているか?拝んで、拝むだけで、何とかなるか?高齢化社会。

宗教家ーコンビニの年齢承認タッチ以上に無駄なのではないか?


女の子とソフトヤクザ

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先日、散歩中に、小学4年生くらいのチャリンコに乗った女の子が突然私に話しかけてきた。
「すいません。あのぅ…ピンク色の自転車に乗った女の子を見かけませんでしたか?」
私は答えた。
「う〜ん…見ぃひんかったよ」

私に話かけた直後に、その女の子は私に話かけている場所から10mほど離れた所にピンク色の自転車に乗った女の子を見つけて「おったあ!」と言って、満面の笑みで去っていったのであるが、今にして思えばあの女の子、なかなかの根性だと思う。将来、有望だ。

私が子供だったら。ましてや女の子だったら。こんな人相の奴には絶対に話しかけないと思う。


愛と笑いの夜ではなかった

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サニーデイ・サービスのアルバム「愛と笑いの夜」と「サニーデイ・サービス」

以前から持ってはいたが、今までなぜかあまり聴かなかった。良い音楽だというのは一聴してわかったが、今までメンタル的にあまりフィットしなかったのである。が、二日前の夜、酒の肴に何気なく聴いて以来、猛烈な勢いで私の中のヒットチャートを駆け上がり、今や私の部屋に於けるヘビーローテーション盤となった。

アナログ感のある隙間だらけのバンドサウンドに、曽我部恵一の甘い声が乗る。音やメロディからは洋楽からの影響が強く漂ってくるのに、詞は徹底的に日本語で、今時、英語コンプレックスを微塵も感じさせない素直な歌い方が逆に新鮮。北野映画の「キタノ・ブルー」のように、音楽全体を薄く絶妙に覆う昭和臭がたまらない。素晴らしいバンド、素晴らしい「日本の」バンドである。もう随分と前に解散しちゃってるけれども…。

4、5年前、曽我部恵一のソロライブを観に行った時のことを思い出した。当時大阪に住んでいた私は、地下鉄に乗って、なんばHatchまで一人で観に行ったのである。
ライブ中も、ライブ後も、涙が止まらなくて往生した。わけがわからなかった。無言で会場を出ると夜。螺旋階段を降りて行く途中にベンチがあって、そこで煙草片手にビールを飲みながら、Hatch前の川を眺めていた。なんか、割りと絶望的な心境だった。


大根

「図太いが鈍感ではない」なんて、私には到底無理な話だ。私は、図太くあろうとすればするほど鈍感になってしまう。
私は、「図太い人間」というのは、演じることさえできない。上手下手の問題ではなく、そもそも演じることができない。私にできるのはただ、意識して少し鈍感になって、普段は恥ずかしくてできる限り隠そうとしている自分の怠惰な部分をあえて少し開陳してみせて、これを図太さだと言い張ることのみだ。