嗚呼ダメ男

夕方に仕事が終わりました。何だか救い難く心細いので、近所の中古CD屋で「スカーレット」の入っているやつを買って、ウォークマンにぶち込んで大きな音で聴いてたらさらに輪をかけて心細くなってきたので、急ぎバスに乗り、家路に着くと見せかけて家の近所の居酒屋に立ち寄ってビール片手にホルモン焼とカレイの塩焼きを食べてたら、ちょっと前まで大好きだった独り酒が、これが、微塵も楽しくなくて、心細さが募っていくばかりなのでした。

どうすれば救われるのか、本当はわかりすぎるくらいわかっていたのでした。そしてその方法はたった一つだけで、それ以外のことは何をしても無駄だということもよくわかっていたのでした。


頭痛が痛い

以前にも同じことを書いたと思うが、ここでもう一度念の為、愛読者の皆さんの名誉が傷付くのを未然に防ぐ為、書いておきたい。

都会でよく見かけるあの、人間を運搬するベルトコンベアのようなものの名称は「動く歩道」である。よく「歩く歩道」などと間違えて呼んでいる人を見かけるが、「歩く歩道」だったら、それはただの歩道である。

ただでさえ、便利なんだか便利じゃないんだかよくわからない動く歩道。「歩く歩道」となるとこれはもう便利とか便利でないとかで語る次元のものではなく、ただ漠然とそこにあるものを無駄に長々しく呼んでいるだけのことになってしまうのでご注意を。


ある登山家の肖像

一見低く見え、一見美しくも見えるあの白い山を登り始めたある登山家が、自分が実は、いまだ山の麓にいて、山の麓に敷かれた動く歩道のような奇怪な道をただひたすらに逆行し続けていただけだということに気付いたのは、山を登り始めてからちょうど一年が経過した日のことであった。どうりでこの一年間、一向に景色が変わらないと思っていたら、彼はこの一年間、ただひたすらに山の麓で足踏みをしていただけだったのである。ただ、下山は思いの外楽であった。歩いていることが馬鹿馬鹿しくなって足を止めたら、あとは道が勝手に、彼を山の入口の門の所まで運んでくれたのだから。


人はそれを徘徊と呼ぶ

瞑想というのは何も、宗教家を筆頭に、スペシャルな方々のみがやるものと決まっているわけではない。また、瞑想というのは何も、座禅を筆頭に、一箇所にじっと居座って微動だにしないという、あの形のみを指して言うものでもない。瞑想というのは、本当は実に一般的で、庶民的でさえあって、身近なもの。あなただって知らず知らずのうちにやっているだろうし、かくいう私もやっている。

私の場合は、時間の経過とともに自分の中で散漫になっていく何かがあって、この「何か」をギュッと収束させる為に瞑想ということをする。 そして、私の場合、瞑想は散歩という形をとる。その辺をただひたすらに練り歩くことによって、自分の中で何かが確実に着実に収束して、落ち着きを取り戻していくのを感じるのである。

人によって瞑想の形は違う。中には、勝ち負けの問題ではなく、ただひたすらにパチンコ台に向かってぼうっとしてるのが瞑想だと言う人もいると思う。そしてその人には、あのパチンコ屋の、耳がちぎれそうな喧騒が全く聞こえていないんじゃないかと思う。無音の世界に違いない。それは、瞑想中の私が、挙動不審を疑われて通報されても仕方がないくらいにキョロキョロしておるにも関わらず、実は何も見ていないというのと全く同じ原理であると思われる。

人の数だけ、瞑想の形はある。


怒りの葡萄

…とかなんとか言いながら、ちっとも黙っていられないのが私という人間なのである。

最近、私が特に考えていることは、人の死についてである。人の死について、どう捉えれば良いのか。そしてまた、最近、私が特に考えていることは、「パソコンのない時代に生まれたかったな」ということである。パソコン自体にナメられるのも、パソコンを使いこなせる人間にナメられるのも極めて心外であって、もうウンザリである。大体、パソコンを使いこなせる人間に限って、字が下手だったり文章力がなかったりするのは、あれは一体どういうことなのか。そしてまた、最近、私が特に考えていることは、ゴールデンボンバーとかいうアホンダラどものクソ加減についてである。奴ら自体もクソなら、奴らを支持している奴らもまたアホ丸出しのクソだと思う。あからさまに音楽を侮辱してる。悪気がなけりゃなんでもありか?人を殺すことも、人を生かす音楽を殺すことも、悪気がなけりゃなんでもありか?どいつもこいつも片っ端から死ねばよろしい。

とどのつまり、最近、私が特に考えていることは、人の死についてである。


訂正

3つ前の記事に於いて私は、スピッツの「渚」という曲がめちゃくちゃ好きだと書いたが、あれ、間違い。ちゃんと確認してみたら、私がスピッツの曲で一番好きな曲は「スカーレット」であった。

「スカーレット」こそは、昨今の私の精神状況の縮図である。

今月は、


高田順吉

エイプリルフールにくだらない嘘をつく人間にはどうしてこうウザイ奴が多いんだろう―と、小学生の頃から思っていた。

私は生まれつき嘘つきだが、生まれてこの方、エイプリルフールだけは、爪の垢ほどの嘘もついたことがない。

―という嘘。