覚醒2

人を好きになるということは、その人に対して、頭を下げることでも、腰を低くすることでもない。
好きだから、どうしても相手を見上げるような格好にはなるけれども、自分が、相手よりもくだらない人間というわけではない。

惚れる側の人間と、惚れられる側の人間とでは、惚れる側の人間の方が能動的で、ある種自滅的で、かっこいい。惚れて、トチ狂っている人間の方がずっとかっこいい。惚れられる側の人間は、ふっかふかのソファー的な椅子に腰掛けて、脚を組んで、葉巻をくわえて、「で?」と言っているようなもの。かくいう私も「で?」と言ったことがあるが、なにが「で?」だ。

恋する人―「で?」に媚びる中で、自分の価値がジリジリと下降していっていることに気付いたら、その恋、早々にやめるべきだ。撤退すべきだ。くっだらない。

それ以上、自分のことを嫌いになってはいけない。もう十分嫌いだろう。自分のことを好きにならせてくれる人を好きにならなきゃ。


覚醒

ダラダラと自己嫌悪が募っていく―こんな恋はごめんだ。

や〜めた。

よくよく考えたら、この恋、全っ然楽しくない。恋って、もっと楽しいものだったはずだ。少なくとも、私はそう記憶している。過去の、あの恋も、あの恋も、楽しかった。うまくいったいかなかったは別として。

だいたい、声ひとつまともに聞けないなんて、完全に馬鹿げている。

自分のことを好きになりたいがための恋で、自分のことを嫌いになってたんじゃ意味がない。

目が覚めた。俺は、こんな恋は、こんな自分は、嫌だ!


猪武者

35年も生きてきて、私の中の恋愛術が、恋愛に於ける手持ちのカードが、「体当たり」しかないというのは、本当に情けないことだと思う。

ゆうても35年生きてきたから、30枚くらいはカードを持ってるんだけど、いかんせん全部「体当たり」なんだよね。

駆け引きとか、もっとちゃんと学んどきゃ良かったよ。


イギーポップス

「保身」ってカッコ悪い。

男として、これほどカッコ悪いことってあるだろうか。

「保険」もカッコ悪い。

そんなのは、女の人に任せておけばよろしい。女の人がやる分には、カッコ悪くない。だから、結婚もアリと言える。

でも、やっぱり、男がやることではないと思う。

「保身」や「保険」とは、無縁でいたい。


誰でもいいから誰かに響け!

状況、環境、地位、年齢―一切関係ない。

俺は、人妻を口説き倒したこともあるよ。だって、死ぬほど好きだったんだから、しょうがないだろう。

好きな人に「好き」と言うことは、言えるということは、めちゃくちゃ自然なことで、めちゃくちゃ夢のある行為で、言わば平和の象徴で、その平和度は鳩を越えていて、鳩を見下ろす高度で飛んでいて、ブッ飛んでいて、そもそも、ブッ飛んでナンボ、トチ狂ってナンボの「恋」なんだから、これっぽっちも罪じゃない。むしろ、トチ狂えていないことの方が、恋として、罪だ。そんなものは恋でもなんでもない。

人生一回きりであるにも関わらず、それをわかっていながら、好きな人に「好き」という僅か2文字を言えないということの方がずっと罪だ。

このヘタレ野郎が!


気付き

蝉の飛び方と、コウモリの飛び方はよく似ている。

蝶の飛び方も似たようなものだが、蝉やコウモリの飛び方に比べると、まだ余裕が感じられる。

蝉やコウモリの飛び方は、あからさまに必死で、見るに耐えないと言えば見るに耐えないが、蝶の場合は、飛ぶことの必死感そのものを楽しんでいるようにもみえる。

綺麗な羽根でもって、「魅せる」色気がある分、蝉やコウモリよりも、飛んでて楽しいんだろう。