人間、「窮屈」ということ以上に、最低なことはないと思う。
人生、窮屈でさえなければ、いつだって、そこそこ楽しい。
人間、「窮屈」ということ以上に、最低なことはないと思う。
人生、窮屈でさえなければ、いつだって、そこそこ楽しい。
「女の勘」って、確かに、怖い。めちゃくちゃ怖いと思う。だって、ちんぷんかんぷんなことを自信満々に真顔で言って、ハズレても、ハズレたことを認めようとしないんだから。
占い師に女が多いのも頷ける。
私が次に組むバンド―新生バタフライについての、私の中にある、極めて明確で絶対的なウ゛ィジョンをここに発表いたします。
自分でもびっくりするくらい、クリアに見えている「形」があるのです。
*編成は―3ピースバンドである。
*私は、vo&gで、衣装は徹底してミリタリー系である。
*ベーシストは、歌の上手い、曲を書ける、長身の、派手な女性である。年齢は、私より下である。ブッ飛んでいて、非常にパンキッシュである。イメージ的には、女版ダフ・マッケイガン(ex.ガンズ・アンド・ローゼズ)である。金髪とかだったら最高だ。
*ドラマーは、歌える、長身細身の、髭をはやしたダンディーなおじさんである。40歳以上であることが望ましい。この人は、別に、曲を書けなくても構わない。イメージ的には、高田順次である。
*音的には―爆音である。アルファベッツや、リプライズや、第一期バタフライが吹っ飛ぶくらいの爆音である。でも、曲は基本的に私の曲なので、感傷的であり感情的。もちろん、バラードもちゃんとやる。
―といった感じである。乞うご期待。
ちょっと多忙過ぎるとはいえ、多忙な甲斐あって、着実に生活の基盤が安定してきた。私は、この基盤の上に夢を置くのだ。ロックンロールを置くのだ。バンドマンとしての自分を置くのだ。
来月より、バタフライ再興に着手する。
本日、散歩中に、ランドセルを背負った小学生がこんなことを言っているのが聞こえてきて、笑いを堪えるのに大変難儀した。
「あのなあ。アメリカ軍がなあ。爆弾落としてきよったらなあ。鉄砲で撃つから大丈夫っ!」
私が思う100%純粋な人間とは、これを、良い歳をして、ウケ狙いではなく、嬉々とした表情を浮かべて言う人のことであり、たまに、純度85%〜90%くらいの女性を見かけることがあるが、85%〜90%で、もう十分に怖い。はっきり言って、狂人にしか見えない。
人間、70%くらいの純度が適度であるかと思われる。
・「アンタももういい歳なんだから、しっかり自立しなさい」という言葉があり、これに並行して、「アンタももういい歳なんだから、さっさと結婚しなさい」という言葉がある。また、「結婚しなさい」という言葉自体に、自立を促す意味合いを含ませている場合もある。がしかし、しっかり自立できるくらいなら、結婚する必要なんてないんだから、実に矛盾した言葉だと思う。
・100%純粋な人間がいないように、100%自立できている人間もいないだろうと思う。もし本当に、100%純粋な人間がいるとすれば、これはもう本当に気持ちの悪い人間であって、昔から、「極端な清流に魚は住まない」と言うように、誰も彼に寄り付こうとしないだろうし、同様に、100%自立できている人間というのも、実に気持ちの悪い人間で、そんな、誰のことも頼りにしようとしない慇懃無礼な人間にはやはり、誰も寄り付かないだろうと思う。
・100%自立できている人間はいない。でも、「自分は100%自立できている」と勘違いするのは人の勝手なので、そんな人間は吐いて棄てるほどいて、この勘違いこそが人生を左右して、こういう人間に結婚という形は絶望的に不向きだろうと思う。勇ましく「誰の力も借りない」とか何とか言って、自分に酔い痴れながら孤立してゆけばよろしい。
・愛される人間というのは、真摯に、しかしながら愛嬌を湛えて、「助けてちょんまげ」と言える人間のことで、意外にもこの「ちょんまげ」が、相当に人を助けていたりするのではないかと思う。また、愛嬌というのは、魅力的なカッコ悪さのことで、このカッコ悪さは、自分の分をわきまえた謙虚な気持ちから来ていて、このカッコ悪さを魅力的にするのは、「それでも」自分の人格と人生を肯定しようとする前向きな姿勢から来ているんだろうと思う。
―嗚呼、試行錯誤の垂れ流し哉。
私は今まで、パートタイマーであったのだが、本日、社長から正職員の話をいただいて、快く受けさせていただいた。
私はこれを出世だと捉えている。人生初の出世。有難い。やる気満々である。
良い介護士になりたい。
言っておくが、コンビニに貼ってあるチラシを勝手に剥がして持ち帰ったわけではない。私はそこまでアナーキーな人間ではない。「ご自由にお持ち帰り下さい」のチラシを頂戴したまでのことである。人目を憚ったのは、ただ単に、めちゃくちゃ、恥ずかしかったからである。
どっかのオバハンに目撃されて、「うわっ。あの人、しょこたんのチラシ取ってはるわ。死んだらええのに」などと思われて、言い触らされて、伊丹最北端で村八分にされることを恐れたまでのことである。
だいたいに於いて、翔子本人が、自分のことを「しょこたん」などと呼ぶから、このようなことになるのである。
チラシを頂戴する時の私の心境はまさに、初めてエロ本を買う時の中学生の心境であった。