やはり、太田くんは素晴らしいシンガーソングライターだ。リハを聴いて実感した。今日に関して言えば、私との対比もやはり、絶妙だと思う。
今日のライヴを、二枚組のアルバムにして発表できたらなあと思う。
やはり、太田くんは素晴らしいシンガーソングライターだ。リハを聴いて実感した。今日に関して言えば、私との対比もやはり、絶妙だと思う。
今日のライヴを、二枚組のアルバムにして発表できたらなあと思う。
今日は、私は、何度も言いますが、ラヴソングしか歌いません。
煙草を吸い、ビールを飲みながら、落ちぶれたレノンみたいな感じで、ダラダラダラダラやります(これ、ソロの醍醐味!)。
今回のイベントを提案したのは私です。
私が太田くんを選んだのは、太田くんが、音楽的には私とは真逆のスタイルでありながら、私と同じく、音楽がなかったらとてもじゃないが生きていけないこと丸出しの人間だからです。
面白いイベントになるでしょう。純粋に、楽しみに来てください。打ち上げとかも、できたらパアーッとやりましょう!
私は私らしく、太田くんは太田くんらしくやるだけで、それが、最高だと思っています。
例えば、明石家さんまと志村けんが救った人間の数って、ハンパないと思う。本当に、ひゃんぱないと思う。
その辺の慈善団体が、真夏の車のボンネットの上で逆立ちしても絶対に叶わない数だと思う。
国民栄誉賞を誰にあげるのかは、「国民」栄誉賞なんだから、国民に選ばせてくれと思う―のは、やっぱりまた、俺だけ?
私は、人は、「善性」か「悪性」かで見ればいいと思っている。そして、それはあくまで、自分の目にどう映るのかということが大事なのであって、他人の目にどう映るかなんてのは、知ったこっちゃないと思っている。なぜなら、私は私の主観で生きていて、他人は他人の主観で生きていて、とどのつまりは、自分の人生を巡る世界の主人公は、自分自身でしかないと思っているからである。
私が死んだら、私の知っているこの世界の全てが終わる。み〜んな消えてなくなる。だから、自分の主観に自信を持って生きていけばいいと思っているし、それが当然だろうと思ってはいるが、なかなかどうして、これが結構難しい。
完全なる嫌われ者がいたとして、でも、私がその人を善性だと思えば、その人はいいひと。「今度呑みに行かへん?」ってなもんだ。逆に、完全なる人気者がいたとして、でも、私がそいつのことを悪性だと思えば、そいつはゴミ。歩くゴミ。「ただちに死んでいただけませんか?」ってなもんだ―と、私が書くと、実に安易に引く人たちがいて、私はそういう人たちが大嫌いで、本当の本当に大嫌いで、憎悪していて、だから、たまにこうして、本音の中の本音でもって、そういう人たちのことを煽りたくなるのである。
「悪性な人間なんていないよ」などという台詞を笑顔で吐く凶悪な人間の悪性が見るに耐えない。本当に嫌だ。あの人ら、優しい顔をして、めちゃくちゃ残酷なことをしよるからね。
あんたのことでございますよ。
恒例の、「わかってきてるんだか、わかってきてないんだか、さっぱりわからんゾーン」に突入したらしい。
明日、思いの外、動けそうな気もするし、思いの外、動けないような気もする―というゾーン。
でも、ここを突き抜けたら、とりあえず、第1ステージクリアなんだろうな、とは思う。
ま、全部で563ステージくらいあるんだけど。
「結婚して良かったあ!」という言葉をまあ聞いたことがない。また、「おしどり夫婦」なんてのにも、ほっとんどお目にかかったことがない。顔に「惰性です」と書いてある、茶の出がらしのような夫婦は吐いて棄てるほど見てきたけど。
実体験に基づいて、また、周りを見渡して、結婚というものに、微塵も夢を抱けない。最初は良くても、後々絶対面倒なことになる―としか思えない。
結婚生活を円満に営めるほど「忍耐」ということができないし、忍耐を楽しんでいるかのように魅せる「演技力」もない。
あらゆる願望の中で、結婚願望ほど稚拙なものはないと思う。想像力を疑ってしまう。
恋愛の果てに結婚という名の化け物が口を開けて待っているかと思うと、恋愛さえも、なんだかどうでもよくなってくる。ハッピーエンドで終わらない映画が、ハッピーな感じで始まることのグロテスク。
結婚―あれは、恋愛期間に甘い汁をむさぼり吸ったことに対する罰ゲームか何かだろう。