惡の華

私は、人は、「善性」か「悪性」かで見ればいいと思っている。そして、それはあくまで、自分の目にどう映るのかということが大事なのであって、他人の目にどう映るかなんてのは、知ったこっちゃないと思っている。なぜなら、私は私の主観で生きていて、他人は他人の主観で生きていて、とどのつまりは、自分の人生を巡る世界の主人公は、自分自身でしかないと思っているからである。

私が死んだら、私の知っているこの世界の全てが終わる。み〜んな消えてなくなる。だから、自分の主観に自信を持って生きていけばいいと思っているし、それが当然だろうと思ってはいるが、なかなかどうして、これが結構難しい。

完全なる嫌われ者がいたとして、でも、私がその人を善性だと思えば、その人はいいひと。「今度呑みに行かへん?」ってなもんだ。逆に、完全なる人気者がいたとして、でも、私がそいつのことを悪性だと思えば、そいつはゴミ。歩くゴミ。「ただちに死んでいただけませんか?」ってなもんだ―と、私が書くと、実に安易に引く人たちがいて、私はそういう人たちが大嫌いで、本当の本当に大嫌いで、憎悪していて、だから、たまにこうして、本音の中の本音でもって、そういう人たちのことを煽りたくなるのである。

「悪性な人間なんていないよ」などという台詞を笑顔で吐く凶悪な人間の悪性が見るに耐えない。本当に嫌だ。あの人ら、優しい顔をして、めちゃくちゃ残酷なことをしよるからね。

あんたのことでございますよ。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。