変わり身の術

考えてみれば、例えば、同じ女の人に3回「好きだ」と言って、3回ともフラれて、それでもなお食い下がるというのは、確かに妥協はしてないかもしれないけど、女の人にしてみればまことにもって迷惑な話で、潔さが微塵も感じられなくて、男として、人間としていかがなものか―という話でございますな。

3回フラれた時点で、スパッと諦めて、次に歩を進める、視点を他に移すというのはこれ、「妥協」ではございませんな。「それでも僕は生きねば!」という意志の顕れでございまして、これは男として、人間として、美しゅうございますな!

そうだ!

よし!

諦めたっ!


急須難民

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もし今、昆陽池に向かって何か叫ぶとしたら、「バカヤロー!」ではなく、「もうええわ!」だと思う。だいたい、こう毎日ハローワークに足を運んでいると、まるでハローワークに出勤しているかのような錯覚が生じてくる。
来週あたり、建物の入口付近に私のタイムカードが設置されるのではなかろうか。

しかしまあ、探せど探せど見つからない。別に、人気のある職種を狙っているわけでもないのに見つからない。いよいよもって、「妥協」の二文字が、頭をもたげ始めている。

万事休す。


妥協について

やむを得ずではなく、気持ちの弱さから、好き好んで妥協ということをして、その結果、「妥協して良かったあ」という結論に至ったなどということは、今だ嘗て一度もなかったように思うから、私にも若干の学習能力はあるので、そんな妥協はもう絶対にしないが、でも、人間、生きていれば、やむを得ず、苦渋の決断として、妥協ということをせねばならん時もこれある…のか?どうかさえ私にはよくわからんし、本当はないんじゃないか?というような気もするが、もし、if、人生にそういう局面があったとして、やむを得ず、苦渋の決断として、必要に迫られて妥協ということをした場合には、この種の妥協については例外が適用されて、「妥協して良かったあ」という喜ばしい結論に至れるのだろうか。それともやはり、妥協は妥協。妥協の子は妥協。妥協から生まれた不具な結論に生命力などあろうはずがなくて、あれよあれよと情けなく手からこぼれ落ちて、またぞろ全てがゼロに帰して、振り出しに戻る―ということになってしまうのだろうか。

妥協はイカン!妥協の木―待ちに待ってようやく成った実が、成ったと同時に腐っていた―というようなふざけた実しか成らん!とは言え、現状から抜け出す唯一の道が妥協だった場合には、これはもう手も足も出ない。踏んだり蹴ったりではないか。

妥協って何だ?


責任転嫁

ハローワークから帰ってきて、それからまた散歩に出掛けてまた帰ってくると、うちの母親がキーボードを弾いていた。しかも、パイプオルガンの音色で。親父が親父ならオカンもオカンだ。

―私はたまに思う。私がこんな、なんだかよくわからない感じに仕上がってしまったのは、私だけのせいではなかろうと。


本業報告

生活臭ふんぷんたるブログなんて他にいっぱいあるわけで、当ブログの愛読者の皆さんは、当ブログに、私に、生活臭なんて望んでいないわけでございますから、たまには私の「本業」について、今どうなっとるのか、報告したいと思います。

ライウ゛が近づいてまいりました。そして昨日、ようやくセットリストが決まりました。

前回のバタフライのライヴで演った曲の中から一曲。アルファベッツの初期に演っていたが、それ以降は一切演っていない曲が一曲。新曲が一曲。私の「定番」とも言える曲が二曲。かつて、ソロライヴで一回だけ演ったことのある曲が一曲―という感じになっております。

本当に、ガチで、ラヴソングしか歌いません。熱くほとばしるロックンロール魂をもって、ラヴソングを歌います。したがって、ラヴソングしか歌わないとは言え、決してぬるくはならないので、ご安心を。


好きなバンドBest10

熟考に次ぐ熟考に次ぐ熟考の末、私が死ぬほど好きな、私の「血」とも言えるバンド、アーティストを10選出して、さらに熟考、熟考、熟考の上、順位を付けた。
ま、私のことをよく知ってる人からすりゃ、「数年前と全っ然変わってねぇじゃねぇか!」って話なんでしょうけどね(笑)
では発表!

1位/ビートルズ
2位/オアシス
3位/ザ・ローリング・ストーンズ
4位/フリートウッド・マック
5位/ザ・フー
6位/村八分
7位/U2
8位/レッド・ツェッペリン
9位/ティーンエイジ・ファンクラブ
10位/マニック・ストリート・プリーチャーズ


不屈がり

つい先程、電話で、面接結果の通知があった。

アカンやった…。

明らかに私より歳上と思われるオッサンに負けてしまった。といって、希望職種を変えるつもりは微塵もない。俺は、あれがやりたいし、あれしかやりたくないんだから(決まるまでは、「あれ」で通します)。

めげずに明日、またハローワークだ!


起訴

待つ側と、待たされる側では、どちらが辛いのか―これは以前にも申し上げたように、太宰さんが『走れメロス』の中で主題として扱ったテーマであるが、私個人的にはやはり、待たせる側よりも、待つ側の方が辛いんではないかと思う。

待たせる側には、選択肢がある。自分の意志をどの方向に持っていくのかを選択できて、さらに、その方向に対して、勝手に情熱を抱くこともできる。一方、待たされる側はというと、いわば「まな板の上の鯛」―メロスの親友がそうであったように、選択肢がなく、一切身動きが取れず、ただひたすらに信じて待つのみである。

太宰さん、あんたは本当は、「メロスは戻ってこなかった…」という物語を書くべきだったんじゃないだろうか。逆に言えば、あの時代、そんなことを書けるのはあんただけだったはずだし、その方が作品として絶対に面白かったはずだ。何故、「勝手に信じたお前が悪い」と書かなかったのか。それがあんただろう。

『駆け込み訴え』などで、キリスト教の考え方に対して、疑問を投げ掛けたり、毒づいたりしてる割には、『メロス』のオチは、「信じる者は救われる」だ。

おかしくないか?太宰さん。


昨夜の夢

男4人、女3人。計7人の中国人と友達になって、そいつらと一緒にバンドをやることになった―という夢を見た。

バンドの中に一組だけカップルがいるのだが、このカップルの男の方が病的に嫉妬深い野郎で、それはもうこの野郎の女も呆れ返るほどで、私がちょっと女と口を利いただけで激烈に不機嫌になるというような困った野郎で、こんな野郎がいるものだから、メンバー全員、スタジオに入ってもちっとも練習に身が入らない。
「お前そんなことではアカンで」皆、口々にこの嫉妬野郎を戒めるのであるが、反省するのはほんの一緒だけで、数分後にはもう、実に些細なきっかけでもって嫉妬の炎を燃やしてけつかるので、こちらとしてはイライラしてもしきれない。

そうこうするうち、私はなんだか面白くなってきた。野郎を嫉妬させるのが面白くなってきた。気付けば、あえてあからさまに野郎の女にちょっかいを出すようになっていた。
女に対して、個人的な想い入れは一切ないのであるが、ただ野郎の嫉妬するところを見たいがためにちょっかいを出すようになった。すると、誰もかもが野郎の目を気にするがあまり、腫れ物に触るような接し方しかしてこず、その結果、半孤立状態にあった女の表情がパッと明るくなった。まんざらでもないとでもいうような顔をした。が、女としても、私にそうやって接してもらうことによって、半孤立状態から脱け出す糸口みたいなものを見出だせたらしいことが嬉しいだけで、私に対して何か個人的な想い入れがあるのかというと、これは一切ないようだった―という夢を見た。

精神鑑定をよろしくお願いします。