妥協について

やむを得ずではなく、気持ちの弱さから、好き好んで妥協ということをして、その結果、「妥協して良かったあ」という結論に至ったなどということは、今だ嘗て一度もなかったように思うから、私にも若干の学習能力はあるので、そんな妥協はもう絶対にしないが、でも、人間、生きていれば、やむを得ず、苦渋の決断として、妥協ということをせねばならん時もこれある…のか?どうかさえ私にはよくわからんし、本当はないんじゃないか?というような気もするが、もし、if、人生にそういう局面があったとして、やむを得ず、苦渋の決断として、必要に迫られて妥協ということをした場合には、この種の妥協については例外が適用されて、「妥協して良かったあ」という喜ばしい結論に至れるのだろうか。それともやはり、妥協は妥協。妥協の子は妥協。妥協から生まれた不具な結論に生命力などあろうはずがなくて、あれよあれよと情けなく手からこぼれ落ちて、またぞろ全てがゼロに帰して、振り出しに戻る―ということになってしまうのだろうか。

妥協はイカン!妥協の木―待ちに待ってようやく成った実が、成ったと同時に腐っていた―というようなふざけた実しか成らん!とは言え、現状から抜け出す唯一の道が妥協だった場合には、これはもう手も足も出ない。踏んだり蹴ったりではないか。

妥協って何だ?


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。