The Concept

一ヶ月後に迫った太田くんとのツーマンライヴ。

私は、ラヴソングしか歌わないことにしました。初の試み。個人的なコンセプトです。

私の、過去、現在、未来の恋愛、恋愛観について、全力で歌います。本当に、初めてのことです。

「歌う」というのは、歌い手の気持ちの純度の問題だと思っています。だから、今の私が、純度100%で歌えるとしたら、ラヴソング以外にないと思っています。

飢餓感の問題。

だから、『バンドマン・ロック』や『カナリヤ』は死んでもやりません。

悪しからず。


わかっています

これは実話です。

太宰さん(太宰治)の親友に、山岸外史という作家さんがいました。

ある日、二人はとある居酒屋で呑んでおりました。で、勘定の段階になって、「金がねぇ!」となりました。

太宰さんは外史を人質として居酒屋に置いて、「必ず戻る!」と言って出てったきり、戻ってきませんでした。

太宰が戻ってこない…外史は、方々の友人に連絡をして、呑み代を工面しました。

頭にきた外史は、太宰がいるであろう別の居酒屋に乗り込んで、案の定、そこで呑んでいた太宰さんに怒鳴り付けました。「お前はアホか!」

太宰さんは言いました。「君ねぇ、待つ側より待たせる側の方が辛いんだよ」

太宰治最低!

でも、このエピソードを題材にして、後日、『走れメロス』が生まれました。


rover

「必要」という言葉に、99%も98%もない。
「必要」という言葉自体が、100%の気持ち、100%の想い、100%の飢餓感を前提としている。だから、必要なものが手元に無い、隣にいないという状態は、自分の中の「欠け」を直視することであって、それは明らかに「−」であって、「0」ではない。

必要なものが手元に無い時、隣にいない時、死ぬほど寂しくなる。自分の中の「欠け」を、冷たい風が、無表情に吹き抜けて、あまりに無慈悲で、涙が出てくる。

でも、本当はきっと、必要なものは必ず手に入る。そうして、手に入れた必要なものを、必要に思う限りは、絶対に失うことはない。気持ちが、想いが、飢餓感が、1%でも欠けた瞬間から、失う可能性が出てくる。

必要なものを失うことはない。必要ではなくなったから失った。つまり、それは、「手放した」ということになる。手放して、解放された両手で、また新たに必要となったものを掴みにいく。


これでも喰らえ!

うまくいくと思えばうまくいく!
うまくいかんと思えばうまくいかん!

本当の本当は、真相は、真実は、そういうこっちゃ!!

難しく考えて勝手に迷宮入りして他人を惑わすな!

俺、金輪際、ストレートしか放らん!


ロックンロールが死んでいた

夢の中で、内田裕也のライヴを観た。

ベースのいないゴミのような3ピースロックンロールバンド。ギターは全く聴こえないし、ドラムは下手クソ過ぎて斬新にさえ聴こえるほどなのに、裕也は一人、あちら側の世界の人の目をして、ヨダレを垂らして踊り狂いながらふにゃふにゃと「ジョニー・B・グッド」を熱唱していた。

異常に狭いライヴハウス―「何の罰ゲームやねん」と思っていると、肌色のジャケットの「ニューアルバム」とやらを売り付けられそうになったが、どうせ収録曲全曲ジョニーなんだろうと思って、毅然とした態度で断った。

冷めた声で「いらん」と言った。


鮫島ジャパン

なでしこジャパンの試合を観た。アメリカに1―0で勝った。

なでしこが後半の後半に点を入れた後、テレビを観ている人の内の何人の人が「守れ!」と言っていたかは知らないが、私は「攻めろ!」と叫んでいた。

なでしこは最後の最後まで攻めた。そして勝った。

「そうやんなっ!」と思った。あと、鮫島選手が綺麗だった。