詩は、他の表現と違って、こうやってブログを通して、できたてホヤホヤのものを、一切変形、変色させずに、湯気の立っている状態でサッと提供できるから、料理人としてはやはり嬉しい。
絶対不採用
履歴書に「性格」の欄があった場合、以前は「温和」と書いていた私だが、今の私は断じて温和ではないのだから、間違えても「温和」とは書けなくなった。では、もし今、履歴書を書くとして「性格」の欄があったら、何と書けば良いんだろう。
「珍妙」と書いて「コメディータッチと読んでください」と添えるか?
「無頼」と書いて「デカダンスと読んでください」と添えるか?
「極彩色」と書いて「サイケデリックと読んでください」と添えるか?
「制御不能」と書いて「エキセントリックと読んでください」と添えるか?
「意味不明」と書いて「エレクトリックと読んでください」と添えるか?
―いずれにせよ、不採用に終わるだろう。
曇天下の詩人
昨日は、無用なCDを30枚ほど、リュックサックにブチ込んで、リュックサックをパンパンにして、梅田の中古屋に売りに行き、売って得た金を持って、NU茶屋町のタワーレコード、トミーさんのニューアルバムを買って、初回特典の缶バッジ2ヶを手に入れて、それから、楽器屋のメンバー募集貼り紙を見て歩いたのだが、まあどれもこれも見るに耐えないゴミのような内容の貼り紙ばかり(パンクとヴィジュアル系ばっかり)で、「やってられんよトミーさん…」と呟いて早々に伊丹に帰還したのである。
で、今日は今日で私にはやることがある。今日は一日、詩を書いて過ごそうと思っている。詩待ち段階の曲が5曲、いや、ひょっとしたらもっとあるかもしれないことを思い出したからである。
この社会的空白期間中に、今後のライヴでレパートリーとして十分使えるレベルの曲を最低3曲は増やしたいと思っている。
本日、伊丹最北端は曇天。私は曇天下の詩人である。
鬼畜
めっちゃくちゃ好きなんだよ。
死にそうなくらい好きなんだ。
それはもう千切れるくらいに。
でも、「ワタシと音楽、どっちか大事なのよ!」って言われたら、待ってましたとばかり、内ポケットからメリケンサックを取り出すと思う。
馬鹿の花
昔、彼女に薔薇の花を贈った。
彼女は「ゴメン。めっちゃ嬉しいねんけど花は枯れるからあんまり…」と言った。
私は「え!?枯れるからこそ綺麗なんやんか!」と、特に何の実感もなく、ただ、文章のロマンチックっぷりに酔い痴れながら言った。
かつての私は、今よりずっと胡散臭かった。でも、本当に好きな人には、何故かまた、薔薇の花を贈りたくなると思う。
囁きに揺れて
自分の中に、強硬姿勢を崩そうとしない自分と、常時怖じ気付いてばかりいる自分がいる。
強硬姿勢の自分は常に上の空で、絶えず無我夢中でいたいと思っている。我を忘れている状態で、夢の中に生きたいと思っている。一方、怖じ気付いてばかりいる自分は防衛本能の塊で、足元の状態をネタネタと確認しながら、とにかく自分を守ろう守ろうとしている。
どちらの声も主人たる私を思ってのことなので、有難いっちゃ有難いんだけど、どういうわけだか私は、強硬姿勢の自分の声を「天使の囁き」と呼んで、怖じ気付いてばかりいる自分の声を「悪魔の囁き」と呼んでいる。
天使が「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と囁く隣で、悪魔が「飛んで火にいる夏の虫」と囁いている。



