清毒

人を傷付けていいのか―いいわけがない。が、無神経に人を傷付けてばかりいる奴については、積極的に傷付けてやればいいと思う。特に、悪気なく人を傷付けてばかりいる奴については徹底的に。

ゆうても「傷」なんやから、放っといても治るよ。治らんことを祈るけど。


嫌いな食べ物5

《1位》キウイ
子供の頃、死ぬほど酸っぱいのを食って以来、名前を聞くだけで顎が痛くなるようになったので、死んでも食わん。

《2位》パイナップル
キウイと同じ理由で嫌いなのだが、キウイよりはマシなので、酢豚などに入ってしまっているものについてはなんとか食えるのだが、できる限り食いたくない。

《3位》ピーナッツ
パイナップルに並ぶ勢いで嫌い。基本的に豆類はあまり好きではない。柿ピーは柿の種だけを食って、罰当たりな話ではあるが、ピーナッツは捨てる。

《4位》バナナ
ネチネチした食感が嫌い。子供の頃、親に「栄養あんねんから食べ!」と言われ過ぎて嫌い。

《5位》チーズおかき
チーズは好きだし、おかきも好きだけど、合体させた時点で嫌い。同様に、チーズかまぼこも、合体させた時点で嫌い。他にも、中途半端にチーズを合体させた食べ物については、軽い吐き気をおぼえる。


爪とエロ本

何かにつけて血液型を尋ねてくる女。
突然、声を殺して、おのれの霊感の強さを誇らしげに告白してくる女。
占いの舘で行列をなしている女、女、女。

想像力が完全に欠如している。

私は「想像の羽を伸ばす」というのは、既存のイメージに依存しないことが大前提だと思うのだが、上記の女たちは皆、「血液型」「霊」「占い」という既存のイメージに依存しきっていて、我慢して話を聞いてやっていても、言葉自体が何処かで聞いたような言葉ばかりなので、まったくもって聞くに耐えない。徹頭徹尾、オリジナリティーがない。

以前にも書いたが、女という生き物は、生命力という点では、男を完全に圧倒していると思う。これは、常日頃、男として心から降参するところで、生命力があるってこと自体は、本当に素晴らしいことだと思う。でも、その分、想像力が相当に退化していると思う。想像力という点では、女は男に絶対に勝てない。それは、古今東西、芸術家の男女比と、能力差を見ても明らかだ。

最近、「女が強くなった」という言葉をよく聞く。その通りだと思う。異論はない。でも、その一方で、女にはじゃんじゃんじゃんじゃん失っていくものがあるように思う。そして、それに反比例する形で、男の生存圏がじゃんじゃんじゃんじゃん拡がっていくような気がする。

男性諸君!旦那諸君!彼氏諸君!昔から「能ある鷹は爪を隠す」と言うではないか。負け犬を演じつつも、ひそかに想像力を磨け!
親に隠れてこっそりエロ本を見ていた頃の感覚を思い出せ!嫁に隠れてこっそりそういうものを見ている時の感覚を伸ばせ!そう、その要領だ!ただ、爪をどこに隠したか忘れちゃあ絶対にイカン!


どぶさらえ

不安は泥だ―と、今思った。
ドブに溜まる汚泥だ―と、今思った。

自分の中の全細胞を総動員して、近所のコーナンで買い占めてきたスコップを配給して、定期的にどぶさらえをして、気運の流れを良くせねば!

と、今思った。


僕はメリケン粉

考え方や感情が頻繁に揺れる奴は、男女を問わず面倒くさい。
せっかくいい魂を持ってるのに、いっちょまえに年老いた気になって、無い頭で無駄に考えよう考えようとするからそんなことになる。

アホで結構メリケン粉っ!

アホでも、自分がアホであることを自覚していて、自分のために、人のためにちゃんと空気を読めて、ブレない軸をズドンと持ってる奴の方がずっといい。

ブレないアホには品がある。


侍について

例えば人は、中田英寿のように、端から見ればまだまだできるだろう人が自らの判断で散っていく時の姿を見て「潔い」と言う。そして、それは、決して間違いではないと思う。でも、私は、潔さというのは基本的に信念の問題だと思っているから、「私は何事もボロボロになるまでやり抜く」と言った、言い切った野村克也も、めちゃくちゃ潔い人間だと思っている。


嬉しいバレンタイン2012

120214_2104~01.jpg

片手で数え切れるほどしかいない女友達。そのうちの一人が、今日、これをくれた。ギターの模型に、チョコレートではなく、小さな酒瓶が埋め込まれている。

「言うとくけど義理ではないからね」と彼女は言った。「では」の使い方が絶妙で、「さすがは我が女友達!」と思った。

ギターに酒瓶―意味を汲み取ると本当に有難い。
彼女も今、あることについて一生懸命戦っている。心から「頑張れ!」と言いたい。

本命は死ぬほど欲しいが義理は死んでもいらんと豪語する私を死ぬほど痺れさせた「では」であった。

ありがとう。


オッサンとオバハン

泥棒が、泥棒丸出しの人相と格好をしていても、実際に泥棒行為に及ぶまでは泥棒とは言わないように、オッサンは、守りの姿勢に入るからオッサンなのであって、オッサンだから守りの姿勢に入るのではなく、また、オバハンは、陰湿な陰口を叩くからオバハンなのであって、オバハンだから陰湿な陰口を叩くのではない。

小学生にも、オッサンやオバハンがいることからも知れるように、オッサンやオバハンというのは年齢の問題ではないのであるが、上に挙げた「守りの姿勢」と「陰湿な陰口」以外にも、オッサンとオバハンを見極める一つの尺度を私は存じ上げておるので、この場を借りて愛読者の皆さんに、こっそりお教えいたしましょう。

「オッサンだから守りの姿勢に入らざるを得ない」と考えている自堕落なオッサンがオッサンで、「オバハンだから陰湿な陰口を叩かなくちゃやってられない」と考えている無教養なオバハンがオバハンである。