私は決して横柄な人間ではない。だから、友達も、決して多くはないけれども、少なくもない。
私は、常に不安だ。子供の頃から基本的に自信がない。日々、なんだかんだと葛藤していて、何がどう転んでも、後に残るのはやはり、不安だ。
だから私は決して、横柄な人間ではない。
友達を失いたくはない。でも、もうちょい、横柄な人間になりたい。
私は決して横柄な人間ではない。だから、友達も、決して多くはないけれども、少なくもない。
私は、常に不安だ。子供の頃から基本的に自信がない。日々、なんだかんだと葛藤していて、何がどう転んでも、後に残るのはやはり、不安だ。
だから私は決して、横柄な人間ではない。
友達を失いたくはない。でも、もうちょい、横柄な人間になりたい。
私はやはり、「一憩」をじっと見つめられるというのは、不安だ。そのうち必ずアラが出るのが分かりきっているだけに、不安だ。
私はやはり、「茘詩」の方をより評価して欲しいし、より多く見てもらいたい。
「茘詩」ならまだなんとかなる。でも、「一憩」はどうにもならない。
メッキはそのうち必ず剥がれるし、演技はそうそう続くものではない。
「一憩」は常に演じてなきゃならないから、身がもたない。
夢の方にベクトルをガアーッと振ると、その反動で今度は恋の方にダアーッってなる。
恋の方にベクトルをガアーッと振ると、その反動で今度は夢の方にダアーッってなる。
じゃ、夢に恋している場合と、恋を夢見ている場合は人間、どうなるのでしょうか。
頭の悪い奴に限って難しい言葉を使いたがる。
前後の脈絡なく、突然難しい言葉を挟むというのは、笑いの世界の手法であって、笑いをとりたいのならまだしも、社会的な場で、神妙な顔をして言う種類のものではない。
特に、人の上に立つ人間は何よりもまず、言葉の使い方を覚えて欲しい。下の人間は、基本的に上には逆らわない。逆らえない。犬みたいなもんだ。その犬みたいなもんを人間にして、そこからさらに「戦力」へと成長させるのはひとえに、上に立つ人間の腕、言葉にかかっている。
いい歳をして、言葉の使い方を知らないから皮肉っぽい物言いになる。そうして、嫌われる。言葉というものには、元々棘があるんだということをわかっていないから、そんなことになる。
言葉というのは、知性の表れだ。知性というのは、優しさの表れだ。だから、言葉を知らないというのは、優しさを知らないということの表れだ。
本を読むもよし、落語や漫才を熱心に聴くもよし、日常的な会話から多くを学ぼうとする姿勢を持つもよし。とにかく、人の上に立つ人間は義務として、責任として、言葉の使い方をまず学んで欲しい。
下の人間をむやみやたらに傷つけるな。抵抗できない人間をむやみやたらに傷つけるな。え?悪気はない?それが一番凶悪だ。
人の上に立つ人よ、もうちょい言葉を学んでくれ。下の人間をあんまりナメちゃいけないよ。
過去に後ろ髪を引かれるようにして生きるのはなんとも情けない。が、「消化」と「無視」との間には雲泥の差があって、過去を消化することを諦めて、無視して快活に生きることを「前向き」と呼ぶのは絶対に違うような気がする。そんな前向きはきっと、「足元を見ない」ということを前提とした前向きなので、遅かれ早かれ、いずれどこかで、大きく無様につまずくことになると思う。
精神的にグゥ〜っと凝縮してきている。
言いたいことを表現するのに、言葉だけでは追い付かなくなってきているのではなかろうか。
明日はちょっとギターを弾いてみようかな(普段、私はまったくギターを弾かない)。何か面白いものが出てくるような気がしないでもない。
出てくる時は本当に、5秒で出てくるんですよ。出てこない時は、泥酔しても、逆立ちしても、泥酔しながら逆立ちしても、な〜んにも出てこないんですけどね。
伊丹最北端に於ける私の秘密基地―たこ焼き屋「ふーたん」
この上なく庶民的で、静かな店内。
基本、21時閉店と営業時間が短く、食べ物も、たこ焼き、おでん、イカ焼き、フランクフルトと4種類しかないが、何を食べても非常に安く、瓶ビールも一本¥380で飲める。そして、この店最大の魅力はなんと言っても、店内をぎこちなく取り仕切るご夫婦の人柄で、嗄れた声と少年のような笑顔との絶妙な調和がシャイな落語家を思わせる旦那さん(ほとんど喋らない)と、駄菓子屋で子供の相手をさせたら右に出る者はいないであろう雰囲気の奥さん(めちゃくちゃ喋る)が、なんとも筆舌し難い癒しのオーラを振り撒いていて、このオーラがこの店最大の売りとなっている。
癒しの空間―この店は、私の職場と家のちょうど中間点に位置しているので、私はよく仕事帰りに立ち寄らせてもらっている。一昨日は彼女と行き、昨日は夕食後に一人で行って、ビールを一本だけ飲んで帰ってきた。
おでんをじっくりと煮込むように、魂をじっくりと暖めてくれる―そんな素敵なお店である。
というわけで、伊丹最北端に二ヶ所、私の家から歩いて行ける距離に二ヶ所ある秘密基地の内の一つ、たこ焼き屋「ふーたん」をご紹介いたしましたが、考えてみれば、秘密基地を紹介したらアカンがなという話です。
言いたいことがあるんなら、穏やかに簡潔に言ってくれりゃいいだけの話なのに、あえて何も言わず、ただ「言いたいことあるんやけど…わかるよね」みたいなムスっとした顔をして主張するあの下品なやり方だけは、老若男女を問わず、頼むからやめていただきたい。
あれは、KYではない人間の「KYではない」という性質を利用した悪質なやり方だ。
あのやり方に見舞われた時、以前の私であれば、ただただビビって、オドオドと浮き足立つばかりであったが、今の私は、自分の中に猛烈な怒りが猛烈な勢いで込み上げてくるのを感じて、ともすれば爆発しそうで、焦って、この怒りを圧し殺すのに必死で、黙って悶々として、そして、そうやって自分の中の怒りと必死になって葛藤していること自体がめちゃくちゃ無駄なことのような気がしてきて、ここにまた新たな怒りが生まれて…手のつけられない状態に陥ってしまうのである。
だから、言いたいことがあるのなら、素直に言っていただきたい。もし私の方に、何らかの落ち度があるのなら、私は素直に謝るし、謝った上で、自分のやり方を改めもする。ただ、あのやり方―陰質な沈黙による主張だけは、勘弁していただきたい。
私にはもう、あのやり方は通用しない。
私にはもう、威圧的な沈黙の意味を探る意思がない。
もし、あのやり方を執拗に繰り返すようであれば、私は、老若男女を問わず、手を上げかねない。
ナメたやり方は絶対に許さない。