気になっている店

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私は散歩が大好きである。
伊丹最北端に於ける私の散歩ルートは2系統あって、それは、私が歩いて行ける距離にBOOK・OFFが2店舗あって、ここへ行って帰ってくるというルートで、今日は、宝塚安倉方面へ散歩に行ってきたのであるが、このルートの中に、この店があるのである。

なにしろ、めちゃくちゃいい雰囲気なのである。真隣に神社があって、店の中を覗き込むと、焼酎がズラっと並んでいて、カウンターの向こうに割烹着を着たおじさんが立っていて。

以前からずっと気になっていた。来月あたり、意を決して行ってみようかと思っているのだが、私の家からこの店へ向かう途中に大吉があって、これをスルーできる自信が、あまり、ない。


総評

一つ目の詩はただ「ゴミ」という言葉の中に、ゴミではないものの気配を感じさせるような詩を書きたかっただけです。三つ目の詩に至ってはただ「滅びゆく者の歌はいかが?」って言いたかっただけのゴミのような詩です。

二つ目の詩は、書いている時に涙が出そうになったので、たぶん、良い詩なんだと思います。


目の前を行き交う艶やかな人々

あれが紳士淑女ってやつか…

路上の老いた物乞いが呟いた

物乞いの耳に

絶えず流れ込んでくる言葉があった

滅びゆく者の歌はいかが?

滅びゆく者の歌はいかが?

滅びゆく者の歌はいかが?

滅びゆく者の歌はいかが?

滅びゆく者の歌はいかが?

その翌日

物乞いは

河に身を投げた


乾いた音が幾重にも

乾いた色が幾重にも

乾いた言葉が幾重にも

壊れた教会

純白の邪心

漆黒の純心

鉛が宙を舞う

シャボンが床を這う

乾いた音が幾重にも

乾いた色が幾重にも

乾いた言葉が幾重にも

怯える少女

人目を忍んで

そっと目を閉じて

ピアノの音

妖精

凛として

「私はここにいます」と


ゴミの中から手を伸ばして

配置を変えてもゴミ

ゴミの中から首を伸ばして

ゴミに釘付ける視線がゴミ

ゴミのような音楽が境界線

一歩踏み外せば…

ゴミのような小説が境界線

一歩踏み外せば…

ゴミのような日々の中に

光り輝く硝子の破片

そこへ蝶が飛んできて

蜜を吸う

ゴミのような絵画

「花」と名付けて

涙の玉

数珠

手を合わせて

笑って眠る


怒り心頭

もうアカン…。許さん。

猛烈な不快感だ。この気持ちの悪いクソ猫を何とかしないと、書きたいことも書けない。何を書いても台無しにしやがる。

管理人の協力を仰いで、何とか手を打ちます。親愛なる愛読者の皆さん、暫くのご辛抱を!


私だってたまには人並みに奇跡を起こす。でもそれは、バンドをやっている間だけだということを、よ〜く知っている。「俺はロックンロール・シンガーだ!」という強い気持ちが自分の中に自信と安定感を生んで、この自信と安定感が奇跡を起こすんだということを、よ〜く知っている。

バンドを止めたら、一気に私は堕落して、ありとあらゆるものを失って、気違いのようになってしまうことを、よ〜く知っている。


オレ曽根

例えば、誰かに何か物をあげて、その人がそれをめちゃくちゃ喜んでくれたら、次にもまた何かあげたくなるというのは人情でございまするな。

神様は、人間に命をくれた。で、それをめちゃくちゃ喜ぶ人と、当たり前だと思ってちっとも喜ばない人と、めちゃくちゃ迷惑がる人がいたとしたら、神様が次にまた何かをあげたくなるのは?…というごくごく単純なことなのではございますまいか?「ポジティブな言葉がポジティブな状況を呼ぶ」という言葉の原理は、そういうことなのではございますまいか?

人間は、その都度その都度、多くのものを持っているとも言えるし、ごくごく僅かなものしか持っていないとも言える。これは要するに解釈の問題で、今の私の場合は、まだまだ、ごくごく僅かなものしか持っていないと思っている。持っているものの数は同じでも、以前の私であれば、もう十分多くのものを持っていると捉えていたはずで、いくつかものを手に入れるとすぐに「もうこれ以上は持てん!」などと言って、「持つ」ことによって増していく重みへの恐怖心と、それを失ってしまうことへの恐怖心とにやられて、生きることへの貪欲さをいともたやすく放棄してしまっていた。で、終いには「死にたい」などと言い出した。

最近の私は、「人間、本当はもっともっと持てるんじゃないか?」と思っている。だから、私自身も、まだまだ色んなものを持てるはずだと思っている。
今、私が持っているものなんてのは、片手に収まる程度のものだと思っているし、もし、両手がいっぱいになってしまったら、その時はその時で、リュックか何かを持ってきて、そこへじゃんじゃんじゃんじゃんブチ込んで背負えばいいんだと思っている。

とにもかくにも、私はまだまだ持てる。もっともっと生きることに貪欲になって、もっともっと「生きてて嬉しい!」みたいな顔を晒して、もっともっと神様に気に入ってもらって、もっともっと色んなものを手に入れて、手に入れる度に嬉々とした表情をこれ見よがしに浮かべて、その表情を見た神様がまた嬉しくなって私に何か呉れて、両手がいっぱいになって身動きがとれなくなったらその時は、神様がリュック的なものをくれるだろうと思っている。

まだまだ持てるし、まだまだ食える。
まだまだ貪欲さが足りないし、まだまだ喜びの表現が下手クソだ。

満足したり、自分の許容力に限界を感じたりしたら、その時点から流れが止まって、濁って、重くなって、堕ち始める―ということなのではありますまいか?

音楽をやる為のバンドで、恋愛をする為の彼女だ。バンドを手に入れて、彼女を手に入れて、それで終わりじゃない。そこからようやく話が始まる。旅行に行こうと思って家を出て、切符を手に入れただけで満足するような馬鹿はいないだろう。

もっともっと貪欲に!