言葉というものは、
生きている事の不安から、
芽ばえて来たものじゃないですかね。
腐った土から赤い毒きのこが生えて出るように、
生命の不安が言葉を醗酵させているのじゃないのですか。
よろこびの言葉もあるにはありますが、
それにさえなお、
いやらしい工夫がほどこされているじゃありませんか。
人間は、よろこびの中にさえ、
不安を感じているのでしょうかね。
『苦悩の年鑑』より/太宰治
私には思想なんてものはありませんよ。
すき、きらいだけですよ。
『ろまん燈籠』より/太宰治
ただ、好きなのです。
それで、いいではありませんか。
純粋な愛情とは、
そんなものです。
☆700☆
一憩合格、700本目に到達!
それでは当ブログ恒例のタイトル付けをいたしましょうか。
601〜700本目の内容は、過去最高の出来でございました。バンドが完成し、彼女ができ、Jr.さんと個人的なお付き合いをさせていだだけることにもなり…最高の出来です。
7thアルバムのタイトルは、『蝶』以外にないと思います。色んな意味でね。
では、次に進みましょう。まだまだ攻めないと!
『八十八夜』より/太宰治
進まなければならぬ。
何もわかっていなくても絶えず、
一寸でも、五分でも、
身を動かし、進まなければならぬ。
『新ハムレット』より/太宰治
愛は言葉だ。
言葉が無くなりゃ、
同時にこの世の中に、愛情も無くなるんだ。
愛が言葉以外に、
実体として何かあると思っていたら、
大間違いだ。
男性論
女の人の言う「男らしさ」なんてのは、完全に無視してしまっていいと思う。
「あなたはそれでも男なの!?」とか何とか言われたら、「あなたよりは女です」とか何とかテキトーに答えておけばよろしい。真面目に相手にする必要はない。
ただ、男らしい男らしくないは別にどうでもいいにしても、「中途半端」これだけは、男たるもの、止した方がいいと思う。
滅茶苦茶でもいい。中途半端でさえなければ、それなりに絵になるのが、男という生き物だと思う。
今現在の座右の銘
攻める時は攻める。
守る時は守る。
晴耕雨読―晴れたら外へ飛び出してって、雨の日は内に込もって勉強して、晴れたら、勉強したことの全てを実践して、実践したことの全てを体得する。
攻める時は、攻撃の手を弛めない。逃げていく敵を追って、どこまでも叩く。
守る時は、一歩も外へ出ない。守りを固めて息を潜めて、こちらの動向を微塵も敵にさとらせない。
単純なことだけど難しい。難しいけれど単純なことだ。
流れを読んで、的確に、潔く動くことを持続できたら、人生、そんなに物凄い勢いで堕ちることはないと思う。
今、私は攻める時だ。余計なことは考えず、ただただ攻める。攻める為に消費したものは、攻めて勝って得た戦利品の山で十分に補える。
猪突猛進―今現在の私の座右の銘。
復習
自分のやり方を貫く。
今まで、他人のやり方を見よう見真似でやってみて上手くいったためしがないし、他人に説教をされて、懐疑心を抱きながらその言葉に従ってみたところで上手くいったためしもないからだ。そうして、上手くいかなかった場合に、説教をした人間が責任をとってくれるのかというと、これはもう絶対にとってくれないしね。
自分のやり方を貫く―って言うとすぐに、そんな自分勝手が許されるとでも思っとんかボケ!みたいなことを言う人があるが、自分のやり方を貫くというのは決して楽なことではない。結構「茨の道」だ。でも、逆に言えば、自分のやり方を貫かなければ楽に生きていけるのかというと、そうでもない。他人のやり方、言葉に忠実に生きても、それはそれで、結構茨の道だ。生きること自体が、人生そのものが茨の道だ。いずれにせよ、茨の道なんだから、どうせなら、上手くいった場合はその手柄を独り占めできて、上手くいかなかった場合はその責任を全て自分で引き受けられるような方向で生きた方が賢いというものなのではないか?と思う。
難しく考えるからわからなくなる。子供でもわかるような理屈を、難しく考えて迷宮入りするのは、大人の良くない癖だ。
自分のやり方を貫く―単純明快でよろしい。