自己アピーリング

誰にも取り柄の一つや二つはあるものでございますなあ。

どうやら、私みたいなもんにも、取り柄、あるみたいでございましてね。

信じて疑わない―ということが私にはできるみたいでございますよ。私には、「盲目的に信じる」ということができるみたいでございます。

そういえば今まで、人が割と安易に何かを疑ったり、誰かを疑ったりするので、そのことについて、そのことを思って、悲しくなったことが何度も何度もあったような気がします。
なぜ、信じられないんだろう。なぜ、信じてあげられないんだろう。なぜ、信じ抜けないんだろう―と思って悲しくなったことが今までに、何度も何度もあったような気がします。

もし、疑いの気持ちが、「臆病」から生まれるものだとすれば、私はこの疑う疑わないということに限っては、決して臆病な人間ではないみたいです。

どうです?少しは私のことを見直しましたか?女性諸君!


どうでもええわ!

「おたまじゃくし」の「お」はやはり、「お金」とか、「お米」の「お」と同じ意味で、漢字でいうと「御」ということになるのだろうか。
しかし、「お金」を「金」と言ったり、「お米」を「米」と言ったりするのと同じ要領で、「おたまじゃくし」を「たまじゃくし」と言った場合、「わけのわからん省略すな!」などと言われたりはしないだろうか。


夢の中の無情

浴びるほど酒を飲んで、激烈な二日酔いで、ゲロゲロゲロゲロ吐いて、化粧が落ちて、目がくぼんで、顔中に紫色のブツブツが出来て、果てしなく不細工になり果てた中川翔子が出てきて、でも、翔子は翔子だってんで、必死に介抱らしきことをしていたら、翔子の顔が徐々に元に戻ってきて、戻ってきた顔を見るとやはり死ぬほど可愛かったので、さりげなく「また会えるかな?」って言うたら、「私、明日仕事やね〜ん」と血も涙もなくバッサリと断られて…という夢を見たのだが、この夢には一体どういう意味があるんだろう。

そう、私が昨夜見た夢は、二本立てだったのである。そして、二本とも、全っ然面白くなかったのである。


夢の中の激痛

蚊に刺されたら、皮膚が白っぽく腫れ上がる。まずはあれが、オタマジャクシの形で腫れ上がっているところを想像していただきたい。そして、そのオタマジャクシの形をした腫れが無数にあって、ある一点を中心に、あらゆる方向へ散らばっていっているかのような画を想像していただきたい。
それが、私の左脚のふくらはぎに浮かんできて、張り裂けんばかりに痛くて、「これ、めっちゃ痛いねんけど!」と友人に訴えかけている夢を見たのだが、一体どういう意味なのだろうか。


3つの「ちせい」

今朝、ラジオで面白い話を聞いた。

「ちせい」には3種類あるという話で、そして人間は、この3種類の「ちせい」のバランス感覚がとても大事だという話だった。

知性―言わずもがな。我々が「ちせい」という言葉を聞いた時に、真っ先に思い浮かべるあれ、「インテリジェンス」のことである。

痴性―ズバリ言うと、「アホ性」のことらしい。

稚性―「幼稚」の「稚」。要するに幼児性のことである。

「なるほどなあ」と思った。ちなみに、私に関して言うと、「稚性」がズバ抜けてるかな。

本当に、バランス感覚の問題だと思うし、社会的に図太く生きていく分には、意外と、「痴性」がめちゃくちゃ大事で、鍵になってくるんじゃないかと思う。

え?お前は「痴性」には事欠かんだろうって?馬鹿野郎!お前の目は節穴か!って、ま、確かに俺、「知性」の人ではないけどね。でも、私の場合、「知性」と同じくらい「痴性」もないんですよ。
だからそれなりに苦労もしておるのですよ。「稚性」だけで世の中渡ろうってんだから。


マネーの穴

国の経済状態は、金が右から左へ、左から右へ活発に流れた時に上向くという。

例えば、今回の震災によって、一見、日本の経済は停滞するかのように見えるがしかし、昨今停滞していた土木業界に金の流れが生まれるので、これはこれで国の経済状態にとってはプラス要素なのだそうだ。

これは、人間個人についても同じことが言えると思う。金の流れをスムーズにすることは、ストレスを緩和するのに効果的だし、果ては、個人の気運を高めることに繋がると思う。

無闇な節約は、メンタル的に不健康だ。ケチは絶対にイカン。とはいえ、もちろん、金使いが荒過ぎるのは考えもの。湯水の如くに使う必要は全くないけれども、ある程度は使わないと、たちまち運気が行き詰まってしまうのではないだろうか。

これはたぶん、事実だ。したがって、私自身、よくよく考えねばと思う。


魔法の合言葉

私は、大阪にいた頃、「ギンギン」という言葉にものすごく違和感を感じたのである。

ギンギンだぜ!

これでは完全に田舎のヤンキーである。「バリバリだぜ!」と発想のレベルが少しも変わらず、知性的なものが一切感じられない。では、「ビンビン」はどうだろうか。

ビンビンだぜ!

下品である。「ギンギン」にはない肉感的なものが感じられて、語尾の「だぜ!」でどうにかこうにか誤魔化そうとはしているものの、「ビンビン」の音感が本質的に卑猥なので、誤魔化しきれていない。

そこで私は考えたのである。「ギンギン」や「ビンビン」に代わる言葉を、我が知性を振り絞って、考えたのである。
基本的に下ネタであるにも関わらず、決して下品ではなく、なおかつ、知性をも感じさせる新たな言葉を考えたのである。そして、その結果生まれた言葉が、「フ〜ビフビ」だったのである。

フ〜ビフビでございますのよ!

出た。完璧である。語尾に女性言葉を持ってくることによって、肉感、卑猥感、下品感を一掃し、さらに従来の「ギンギン」や「ビンビン」からの影響を微塵も感じさせない音感に知性が漂っていて…完璧である。

フ〜ビフビでございますのよ!

ちなみに、この言葉はなにも、性的な意味合いとして使用した場合にのみ有効なのではなく、「やる気満々だぜ!」とか、「負けてたまるか!」という魂のほとばしりを伝える手段としても有効なので、女性の方々にも大いに活用していただきたい。

今後は、この言葉を我がブログの合言葉とさせていただきます。
それでは、皆さん、ご一緒に。

フ〜ビフビでございますのよ!

フ〜ビフビでございますのね?

フ〜ビフビでございますのよ!!


感傷的羅列

夜の三宮

夕暮れ時の王子公園

裸電球の鶴橋

南港マーケットプレイス

初恋の天王寺

仲良き夫婦の京都

出待ちの烏丸

頑張った上新庄

娘の淡路

嬉しい天六

結界の伊丹etc…

好きな場所がいっぱいある。

好きな場所がいっぱいある。