3つの「ちせい」

今朝、ラジオで面白い話を聞いた。

「ちせい」には3種類あるという話で、そして人間は、この3種類の「ちせい」のバランス感覚がとても大事だという話だった。

知性―言わずもがな。我々が「ちせい」という言葉を聞いた時に、真っ先に思い浮かべるあれ、「インテリジェンス」のことである。

痴性―ズバリ言うと、「アホ性」のことらしい。

稚性―「幼稚」の「稚」。要するに幼児性のことである。

「なるほどなあ」と思った。ちなみに、私に関して言うと、「稚性」がズバ抜けてるかな。

本当に、バランス感覚の問題だと思うし、社会的に図太く生きていく分には、意外と、「痴性」がめちゃくちゃ大事で、鍵になってくるんじゃないかと思う。

え?お前は「痴性」には事欠かんだろうって?馬鹿野郎!お前の目は節穴か!って、ま、確かに俺、「知性」の人ではないけどね。でも、私の場合、「知性」と同じくらい「痴性」もないんですよ。
だからそれなりに苦労もしておるのですよ。「稚性」だけで世の中渡ろうってんだから。


マネーの穴

国の経済状態は、金が右から左へ、左から右へ活発に流れた時に上向くという。

例えば、今回の震災によって、一見、日本の経済は停滞するかのように見えるがしかし、昨今停滞していた土木業界に金の流れが生まれるので、これはこれで国の経済状態にとってはプラス要素なのだそうだ。

これは、人間個人についても同じことが言えると思う。金の流れをスムーズにすることは、ストレスを緩和するのに効果的だし、果ては、個人の気運を高めることに繋がると思う。

無闇な節約は、メンタル的に不健康だ。ケチは絶対にイカン。とはいえ、もちろん、金使いが荒過ぎるのは考えもの。湯水の如くに使う必要は全くないけれども、ある程度は使わないと、たちまち運気が行き詰まってしまうのではないだろうか。

これはたぶん、事実だ。したがって、私自身、よくよく考えねばと思う。


魔法の合言葉

私は、大阪にいた頃、「ギンギン」という言葉にものすごく違和感を感じたのである。

ギンギンだぜ!

これでは完全に田舎のヤンキーである。「バリバリだぜ!」と発想のレベルが少しも変わらず、知性的なものが一切感じられない。では、「ビンビン」はどうだろうか。

ビンビンだぜ!

下品である。「ギンギン」にはない肉感的なものが感じられて、語尾の「だぜ!」でどうにかこうにか誤魔化そうとはしているものの、「ビンビン」の音感が本質的に卑猥なので、誤魔化しきれていない。

そこで私は考えたのである。「ギンギン」や「ビンビン」に代わる言葉を、我が知性を振り絞って、考えたのである。
基本的に下ネタであるにも関わらず、決して下品ではなく、なおかつ、知性をも感じさせる新たな言葉を考えたのである。そして、その結果生まれた言葉が、「フ〜ビフビ」だったのである。

フ〜ビフビでございますのよ!

出た。完璧である。語尾に女性言葉を持ってくることによって、肉感、卑猥感、下品感を一掃し、さらに従来の「ギンギン」や「ビンビン」からの影響を微塵も感じさせない音感に知性が漂っていて…完璧である。

フ〜ビフビでございますのよ!

ちなみに、この言葉はなにも、性的な意味合いとして使用した場合にのみ有効なのではなく、「やる気満々だぜ!」とか、「負けてたまるか!」という魂のほとばしりを伝える手段としても有効なので、女性の方々にも大いに活用していただきたい。

今後は、この言葉を我がブログの合言葉とさせていただきます。
それでは、皆さん、ご一緒に。

フ〜ビフビでございますのよ!

フ〜ビフビでございますのね?

フ〜ビフビでございますのよ!!


感傷的羅列

夜の三宮

夕暮れ時の王子公園

裸電球の鶴橋

南港マーケットプレイス

初恋の天王寺

仲良き夫婦の京都

出待ちの烏丸

頑張った上新庄

娘の淡路

嬉しい天六

結界の伊丹etc…

好きな場所がいっぱいある。

好きな場所がいっぱいある。


「仕事」について

私は、「仕事」というのは、職種に関係なく、時間を売って金を得る行為だと思っている。だから、時間を優先すべき時には、余裕で仕事を休む。だから、バイトだ。無闇に社会的に律義に生きて、味気なく老いていくつもりは毛頭ない。

正社員であろうがバイトであろうが、『何のために働くのか』―これがわかっているというのは、ものすごく幸せなことだ。時間を売る価値があるし、時間を売った金でさらに良い時間を買う意識があるんだから、ものすごく幸せなことだと思う。

もしあなたが、毎月の給料日をちっとも嬉しいと思えないのなら、それはきっと由々しき問題で、あなたの生活の根本的な何かを、豪快に破壊すべきだと思う。

時間を売るのは、さらに良い時間を買うための行為であるべきで、「仕事」はそれ以上のものでも、それ以下のものでもないと思う。

どうせいつかは死ぬことを思うと、そして、それがそんなに遠い未来の話ではないことを思うと、社会的に律義であることの意味が全くわからない。

とはいえ、俺、ちゃんと働くよ。やりたいことの為だけにね。


コメントへの返信〜めぐみ様宛

パンがビールになってね、ビールが自動車になってしもたんよ。ほんでね、この話のオチとしてはね、あの渦巻き型のパンはね、「コルネ」とも言うし、「コロネ」とも言うらしくて、要するにどっちでもええらしいんよ。それを「コロナ」はビールやとか、「カローラ」は車やとか言うて盛り上がってるうちの職場って凄くない?

俺、あの職場で笑い死にするんかな。笑い死にって、めっちゃ苦しいらしいよ。笑い死にだけは勘弁して欲しい。だって、俺の理想の死に方は腹上…やめとこ。


祈るライチ

スタジオ2ヶ所、中古CD屋2ヶ所、計4ヶ所。
全て、めちゃくちゃ人目につく場所に貼り出されるし、僅か4ヶ所とはいえ、4ヶ所が同じ場所にかたまっているわけではなく、結構広範囲にバラけているので、期待は持てると思う。

あと、初の試みとして、ネット上でも募集をかけてみたから、あとはひたすら祈るだけだ。

人事を尽くして天命を待つ―他にもできることがあれば、何だってする。
人事を尽くした後の祈りには、物理的な力があると信じている。それこそ、手で物を動かすのと同じくらい、物理的に単純な力があると信じている。

合掌!


黄忠魂

先週の土曜日、私は神戸へ行けなかった。若干体調が悪いところへもってきて、強烈な猛暑で、「虎穴に入らずんば虎児を得ず!」と心中唱えながら、歩いて駅へ向かう途中、クラクラッときて、これはイカン!ということでUターン、「虎穴に入らずんば虎児を得ず…」と呟きつつ、背中を丸めて家へ引き返したのである。

昨日一昨日と、仕事に全く身が入らなかった。土曜日に、猛暑ごときに怖じ気付いて、虎穴に入れなかったことを悔いに悔いた。

そして今日、私は居ても立ってもいられず、仕事を休んで、ドラマー募集フライヤーを持って神戸にやって来た。今日も猛暑だ。下がるテンション、ビールでカバー。

フライヤー、貼れるだけ貼ってやる!ドラマー、意地でも見つけてやる!俺が見つけてやる!

虎穴に入った以上は必ずや虎児を得てやるぜ!


「奇跡」について

「奇跡」は、そうそう頻繁に、日常的に起こるものではないかもしれないが、それでも確かに言えることは、奇跡は、人の日常の中にこそ起こるものだということであって、決して日常外の、それこそ小説や映画の中でのみ起こるものではないということである。

奇跡は起こる。人の日常に、起こる。世界のあちらこちらで起こっているし、東京でも、大阪でも、新世界でも新開地でも新伊丹でも、人の日常ある所、奇跡は必ず起こっている。ただ、それに気付けない人間の数が、奇跡が起こる回数を遥かに越えてしまっているということが、残念な現実なのである。


蝶番―ちょうつがい―

ちょっとだけ『イッケイノウタ』を読み返してみたところ、2010年10月26日のブログタイトルが「不死蝶」になっていて驚いた。しかもこの「不死蝶」、本文に蝶が一切出てこないんだから不気味である。

「butterfly」というバンド名は、メンバー募集を開始するより前に、すでに私の中にあったのだが、私が「不死蝶」を書いたのは、それよりもさらに過去のことである。

考えてみれば確かに、いつの間にか、「蝶」のイメージが私の中で異彩を放つようになっていた。

私に何があったんだろう。

私にとって、「蝶」って一体何なんだろう。

謎だ。